戦後なんて、この地球上に一度もおとずれていない。
野坂昭如氏原作の「戦争童話集」が『婦人公論』に連載されたのは、70年安保の翌日、1971年のことでした。その頃の日本は「万博景気」に沸き、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが始まるなど、高度成長のもたらした豊かな時代を謳歌しつつ、「戦争」を遠い過去の記憶にしようとしていました。その時、少しぬるま湯につかり始めた日本を警告するかのように、この「戦争童話集」の連載が始まったのです。黒田征太郎は、原作を何度も読み返すうちにこう考えました。「みんな、『戦後』などとカンタンにいうけれど、『戦後』なんて地球上に一度も訪れていないじゃないか」と。そこで「戦争」を遠い記憶にしてしまわないようにと、「戦争童話集」の映像化を思い立ち、黒田のその思いを熱く受けとめた人たちが集まって〈野坂昭如作「戦争童話集」映像化・忘れてはイケナイ物語り〉プロジェクトが開始されたのです。
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戦争童話集から生まれた、もうひとつの“物語り”〜オキナワ
1999年夏、「戦争童話集」全12話の映像化を完了させた黒田征太郎は、映像化のために描き上げた膨大な原画の展覧会を、沖縄県宜野湾市にある佐喜真美術館で開催しました。
第二次世界大戦において、国内で唯一の地上戦を体験した沖縄。現在も国内の在日米軍基地の75%が集中しています。
ちょうどこの頃、沖縄ではサミット開催を間近に控え、マスコミの煽り立てる歓迎ムードが高まっていました。その一方で、沖縄県民の多くがサミットに浮かれ騒いでいるのかといえば、必ずしもそうではなく、サミット主会場の決定が普天間基地の県内移設とリンクしたものであることや、戒厳令に近い警備体制の下で生活を規制されるといったサミットの実態を、静かに見据えているようでした。
黒田は、沖縄の地で出会う人々の表情に触れ、海の風に吹かれる中、戦争童話集に含まれていない「沖縄」の物語りを語り継がなければと、使命にも似た想いを抱きました。
「地上戦を知らない僕には書けない」と言っていた野坂昭如氏も、「日本政府が再び沖縄をステイシにしようとしている今、書ける書けないなどと言っていられない」と、黒田の想いを受けとめ、すぐさま「沖縄篇を作る会」を発足。沖縄へ何度も足を運ぶことから構想を練り始めました。
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