第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。




"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 下北沢の街に降りたのは1969年の暮れ、その年の夏まで経堂に住んでいたにも関わらず、学友のアパートを訪ねたのが最初だった。新宿に取って替る街として足繁く通うようになったのは68年、豪徳寺に引っ越してからだった。以後、参宮橋、代々木上原、世田谷代田、そして下北沢と転々としたがすべて小田急沿線なのだ。何故小田急沿線なのかと自問しても、はて下北沢の磁場に吸い寄せられてとしか言いようがない。路地だらけの街にヤミ市もあれば、ジャズ喫茶の「マサコ」や「良子の店」、バーなら「どーむ」「コンパル」「マキシム」、そして小さな各国レストランが一言居士を持ってお洒落に営業している光景は、下町と山の手が混然としていて、今のように居酒屋だらけの街ではなかった。映画演劇人にミュージシャン、作家に絵描き、デザイナーなど文科系人種と、これからキャリアを始めようと身構えた若者が降り同士同席していて、ポテンシャル・エナジー溢れる雑居で未整理の街だった。と今更ながら繰り返し書くのは、
近い将来この街が過去形の
<だった>になりそうな
都市計画が推し進められようとしているからだ。
 その動きに対してまちづくりの住民運動をやっている「セイブ・ザ・下北沢」から、多少古き良き下北沢を知る者として何か喋ってくれといわれ、3月27日、下北沢タウンホールに出掛けた。パネラーは「ロフト」の平野悠、「本多劇場」の本多一夫と三人だった。
 補助54号というマッカーサー占領時代の1946年に計画された26m幅の道路を、南口から北口の商店街、住宅街を割って通そうというものだ。拡幅ではなくて建設なのだ。昨年末、地区計画骨子案の発表が区からあり、環七幅の道路と駅周辺の17階の高層ビル化構想の外郭が見えたことから騒然となっている。何故そんな亡霊の道路建設を急ぐのかといえば、小田急の地下化が決まったことにある。道路と沿線を一体化したこの「連続立体交差事業」は国費の道路財源を導入して、次いでに小田急地下化と駅周辺再開発をやってしまおうという仕掛けになっていて、その為の道路建設といえる。金が絡んだきな臭い匂いがする。それに地下化が結着したのは03年1月となっているが、実は2000年には決まっていて、その数年の間区と小田急は住民不参加の商店街と町会役員で構成する「まちづくり懇談会」と地権者を相手に、裏で談合を繰り返していたとしか思えない。
 六本木ヒルズで無残な憂目にあっている人たちがいる。六丁目開発で区域外に仮住まいしていた数人の友人知人が、ここに住めとあてがわれた住み処はレジデンスタワーの○十○階だった。若者ならキャッキャとはしゃぐかもしれないが、長年六丁目の路地に住んでいた彼らは全員六十数歳を数える。日々、やもりじゃあるまいに上下に移動して暮らすということはどういうことか。
 阪神・淡路大震災から今年で十年になる。「阪神・淡路大震災10年―新しい市民のために」(岩波新書)で、編者のドキュメンタリー作家の柳田邦男は、応急仮設住宅で253人、復興公営住宅で320人の高齢者の孤独死があったことに、国や自治体の復興事業の矛盾を指摘する。建設戸数は倒壊戸数を越えたのに人は戻らず、高層住宅で近所の人との接触を絶たれた生活の中での孤独死だったと。住民の思いを無視した再開発の典型的な失敗例だろう。とはいえ、六本木ヒルズばかりか代官山も汐留も、再開発の手が入った場所のすべてが、生きとし生きる人の営みを、その人が作った長年の文化を排除している。
 人にも人格があるように街にも街格があるのは当然だが、日本全国の多くの街がその顔を失って久しい。シャッター街という商店街は増えるばかりだ。そんな現況の中、
下北沢は路地を確保し、未整理を魅力にし、
袖振り合う文化を維持している
特異な<主張する街>としてある。
 殺さないまちづくり、壊さないまちづくり。「愛・地球博」が環境保全の人間の叡智の集まりなら、それぐらいのことは出来るだろう!




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