第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。




"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 この四月末日、「破天の人・金大煥」(大倉正之助著)と題された本が出版社から届いた。本を上梓するに当って些か協力した経緯があって贈られたのだ。ドラマー金大煥は韓国初代GS会長になった後、宇宙を叩くフリーのパーカッショニストとして世界を飛び廻りつつ、書家としても如水の雅号を持って時の大統領の注文にも応じ、又『般若心経』二八三文字を米粒ひとつぶに彫刻するギネス・ブックの認定者でもあった。
 ところがここ最近の韓流ブームにあって、三月に島根県が〈竹島の日〉を制定して火がつき、四月には歴史教科書検定で反日運動が広がった。元より靖国神社参拝の人小泉首相が、ジャカルタで過去の侵略の〈おわび発言〉をしたと思ったら、当日超党派で作る「靖国に参拝する国会議員の会」とやらが80名で参拝し、極めて日本的玉虫色外交に徹するというチグハグさが胡散くさい。
 二〇〇四年三月一日、金大煥は突然逝った。一月に漢城大学から名誉哲学博士号を授与されたばかりだった。三月は、長年関わってきた俺が二年半振りに企画した来日コンサートのはずだったので、その死は格別な思いがあるが、詳細はもっと後の号で触れるとしよう。結局最後の来日ライブは〇一年になってしまったが、その一年前の二〇〇〇年には何と俺は四回も呼んでいた。ざっと20ステージだ。
 で、二〇〇〇年三月には、ベルリンから来日していたピアニスト・作曲家のアレキサンダー・フォン・シリッペンバッハや高瀬アキと組んだり、筝奏者の八木美知依を紹介したりした。五月の時はニューヨークからピアニスト藤山裕子が帰ってきてた。七月には共演度の多い佐藤允彦や梅津和時もいたが、故井上敬三先生と最後の共演になってしまった印象深いライブがあった。――金大煥が言った。「日本にお世話になってばかりだからね。近く韓国に呼ぼうと思っているよ」「ああ、それは是非」といって「金さん、女に囲まれて大将になったとこ見せたらいいよ」と俺が選んで得をしたミュージシャン、さがゆき、おおたか静流、早坂紗知にニューヨークの藤山裕子の四女だった。それから数ヶ月後の十一月、ベースの金井英人に招聘され、豊田市能楽堂公演を終えた金大煥を東京駅に出迎え、ライブ会場の渋谷に向かうべく青山通りを走っていた。俺が右手を指して「ここ東宮御所といって皇太子が住んでる所だよ」というと「ああ、離宮ね」と言った。数年前、「漢字が書けなくなった韓国人が多い」と嘆いていたが、
赤坂は知らなくても、
皇太子が住む所を離宮と答える
金大煥は凄いと思った。
そして続けた。「僕とね今の天皇(昭仁)は同い年なの。七歳(教え年)の時小学校に入学した時、皇太子だった今の天皇が白馬に乗ってきたんだ。僕はね、紅白の饅頭が欲しかったので『君が代』歌ったんだ」と。俺は「へえ、そうだったんだ」と感心しつつ、意図を踏まえつ決して深刻にならない話し振りに、改めて金大煥らしさを思った。又別の日のこと、「僕はね、朝鮮戦争のとき音楽隊にいたけど、工作隊でノース・コリアを攻めたことがあるよ」といって、腕をまくり薄く消えかかった刺青を見せてくれたことがあった。万一の時の認識番号だった。
 国から人間文化財に幾度となく指定される話もさらりとかわして、金や名誉にも執着しなかった究極の自由人は、国制や政治からも自由であるのは自明の理だが、例えば北原白秋がそうだったように、人を驚かすことが好きな、好き嫌いの激しい無邪気さは、若くあれば時として思わぬ局面に取り込まれることもあるだろう。至芸に向った鋼のような老人と俺が、一切の遠慮を取っ払いまるで友人のように付き合えたのは、自らの日常と非日常の境をなくして、音楽的結晶に昇化させてゆく姿が、時として飽きずに玩具いじりをする童子のように思えたからかも知れない。
そして繰り返し繰り返しやってきた偉大な童子は、
鳴り物入りではやってこない。
常に一人民間外交だった。




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