第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。




"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 去る11月21日、キヨこと太田喜代子が逝った。享年58歳。前日の日曜日の夜、三上寛のライブに行った後、夜中に寝たが翌朝起きなかったということだ。場を盛り上げることにサービス過剰な彼女は、酒の許容量を遥かに越えたのは言うまでもない。羽田闘争の前だったから、1967年春、演劇を薮にらみしていたキヨことぺコ(当時はそういった)と会った。ゴールデン街に俺が顔を出したのも、ぺコ二十歳、雇われママで出した「薔薇館」が初めてだった。「人が死ぬことは残された者にとっては犯罪だと言っていたキヨ、お前が死んでは話になんないじゃないか!」と、25年連れ添った喪主のコテツが嘆いた挨拶を背に斎場を後にした。
俺は不徳にも一瞬
そんな死に方を羨ましがった。
 今、下北沢で同じ75年にオープンした「レディ・ジェーン」と同期の酒場「魔人屋」と、数年遅れの「裏窓」の二人のオーナーが、俺より若い癖に脳内出血で突然倒れ集中治療室にいる。金属疲労を起こした肉体にも今の世の中、オーバーホールする間も与えず倍加した負荷を覆い被せてくるのだ。
 01年6月、伊豆の月ヶ瀬に向っていた。前年の12月24日夜、NHKエンタープライズの倉田喜久雄は友人数人と待ち合わせをしていたが、不覚にも炬燵に入ったまま倒れ、約束した友人の一人が不審に思って深夜訪ねると、脳内出血で意識不明の彼を発見したのだった。目黒の国立医療センターで長い入院治療を受けた後、もっと長い長いリハビリのために、慶応義塾大学月ヶ瀬リハビリテーションセンターに移っていた。修善寺からバスに揺られて20分、狩野川の元河川敷にすっくと建ったそれはあった。
 手には、クラシック音楽好きでうるさい奴に、まともな古典で対応しようなら即ち破棄されてしまう恐れがあると、ちょいとひねっていこうと、アルゼンチンが生んだクラシックとフォルクローレを切り結ぶ重鎮の作曲家アリエル・ラミレスの『ミサ・クリオージャ』と『アルヘンティーナの女』の二枚のCDを持っていた。片やスペインの名テノール、ホセ・カレーラスを迎えて、ラミレス自身が自演した民族楽器を多用して南米の深遠を呼び覚ますミサ曲や『夏のクリスマス』。後者は、アルゼンチンが誇るというより世界の偉大なディーバ、メルセデス・ソーサが歌っている知る人ぞ知る魂の震えを憶える名盤だ。
 果たして病室を訪ねると、一日発見が遅れていたら彼岸に行っていた倉田喜久雄は、左半身不随ながら言語障害もまぬがれて、しっかりと生還した姿を見せた。月ヶ瀬の山里の夕冷の気配に支配された空気に奇妙な清々しさを感受した。暮れなずむセンターの玄関で待つこと数分、やってきた修善寺までのタクシーの中、ラミレスやカレーラス、そしてソーサが彼のリハビリの役に立つのだろうかと気になったが、ボルヘスが描くアルゼンチンや南米の闇世界が、彼自身が選んだ月ヶ瀬の森に分け入り、
木々や狩野川のたゆたいを受信して
やさしく交換し合うのを幻視した。
 今日11月30日、小樽のカフェにいる。レコーディングやビッグ・コンサートのプロデュースをしながら、古澤良治郎や坂田明他を世に送りだした棘腕ジャズ・プロデューサーだったが、棘腕故に自らを過重労働に追い込み、90年打ち上げの席で脳内出血で倒れた川村年勝の、今日まで苦闘の15年を綴った本の出版記念パーティが、昨晩、小樽運河に面した小樽倉庫No.1で行われたのだ。
 叩き売りのように並べられた脳内出血も人それぞれ、真に生と死は紙一重のようである。
 伊豆箱根鉄道で三島に出て、新幹線で小田原で降りた。小田原城址を庭にして楽市落座を画策する名代の和菓子「菜の花」の主人、高橋台一に会うためだった。ところが彼は常軌を持ち合わせぬ人、初対面なのに次から次と飲み屋をはしご、気付くと瞬く間に終電は過ぎていたが意に解さない。密かに思った行き掛けの駄賃はそうは問屋が卸さなかった。こうして新たに又、生き急ぐ人と付き合いを始めようというのだった。




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