第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。




"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 4日前の2月24日、東京オペラシティに「一噌幸弘/笛・幻想の旅」を聴きに行った。彼が作曲した大作『組曲』《笛ファンタジー(山田武彦編曲)》やバッハ曲を、金聖響指揮・東京フィルハーモニー交響楽団と演ったのだが、オケを向うに廻してソリストとして選ばれたのが、ヴァイオリンの太田惠資とベースの吉野弘志、ギターの鬼怒無月の異質の三人だった。主役の一噌幸弘が能管篠笛田楽笛の他、リコーダーから水牛の角笛まで吹き、オーケストラには拍子木が多用され、太田惠資の怪しげなアラビックボイスやホーメイがあり、和の伝統的な響きに洋の響きが混ざり合い、世界各地を連れ廻された心地の良いコンサートだった。その中、ソロパートを取った時にギンギンにプログレギターを弾く鬼怒無月のプレイを見ていて、中国公演に行ったことを思い出した。その忘れ物のことを書こう。
 2001年9月27、28日は、それぞれ北京の酒仙公萬とスイートネスという二百人は入る大きなライブハウスだった。ツアー・メンバーは、彼と七色のオーガニックヴォイスで世界を渡る今様歌姫のおおたか静流。巫女のような存在だからか、世界と言っても超現代的なメガロポリスよりも、古くはモロッコを始め中近東巡りやバリ島経由の東南アジア巡り、最近ではスウェーデンからウズベキスタン、昨年は沖縄の離島中の離島波照間島に二回も出掛けて、ライブにレコーディングまでしてきている。忘れてならないのが、エストニア共和国の世界最高峰の「エレルヘイン少女合唱団」との共演では、童謡から唱歌、世界の民謡までを収録して、そのアルバムは昨年のグラミー賞を受賞している。今年も「ラオスの子ども文庫基金」の支援コンサートを終えたばかりだ。もうひとつのバンドは、虚無僧曲の古典を拠り所としつつロック、ジャズ、現代音楽を、呼と吸を同時に行い息継ぎなしに吹き続ける循環呼吸奏法の業師、尺八の中村明一が、筝奏者二人を率いて組んだバンド「KOKOO=虚空」だった。
 酒仙公萬は我らが宿でもある高層コンドミニアムで、経営する商社トーメンの歓迎パーティのライブだったから、本番は翌日のスイートネスだった。つまり俺の立てた作戦プランとしては、元来中国より渡来した楽器である尺八と筝を故国に持ち帰る形で披露する。
披露といっても、プログレッシブ・ロックの
ピンク・プロイドやELPを超高難度で演奏するのだから、
殆どショック療法だったはずだ。
次いで二部の静流&鬼怒の自然音楽療法で客を天空に誘ってしまおうという考えだった。おおたか静流のオリジナル曲に加えて、自身が元々歌っていた『君何日再来』は入れたが、『蘇州夜曲』は不穏を思ってはずした。先号でも書いたが、彼女を有名にした曲でもある『花』は絶対に入れた。果たして、ずばり中国語で歌う特訓が効いて、『花心』は俺が驚く程中国人観客に大喝采を受けた。その流れに乗ってKOKOOが再登場して合流、大編曲した『夜来香』で終えたのだった。
 翌29日は大連に飛んでヒルトンホテルの大宴会場だったが、まずこのヒルトンホテルとの契約交渉がツアーの発端だった。例によって二転三転する中国相手に契約と同時に招聘状を取り付け、中国大使館からは労働ビザを発行させつつ、日本航空の協賛が成功してやっと実現した中国公演だった。ドイツ人の総経理マイヤーと日航の職員、「ル・カフェ・イゴッソウ」の諸君が一行を迎えてくれた。ホテルや日航がからんでいたので式次第がある堅い進行だったが、演奏が始まると北京とほぼ同様の客席の反応だった。特に感動した様子のマイヤーは俺たちを接待してくれて、ホテルのメインバーの灯りはいつまでも消えないのだった。30日は制作の主体だった我がレストラン「ル・カフェ・イゴッソウ」でツアーを締め括り、時節は中秋の名月最中に当り、旧暦を守っている習わしの〈中秋圓月宴〉をタイトルにした中国公演を愛で合った。国慶節の一日皆と別れ、付き合ってくれたおおたか静流と上海に一泊寄り道して帰ると、成田の空は淡い夕焼け空に染まっていた。
鰯雲 みすずと静流の 大漁歌   夕方




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