第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。




"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 いよいよ2006年も年の瀬の12月だ。
 月末の晦日に行われる神事に大祓という行事がある。全国の神社で行われる豊作を祈り、世の中の地域社会の平安を祈願することに主眼が置かれているのだが、現実の世は如何のようになっていることか。12月は旧暦では師走といい「歳極ノ略転、或ハ万事為果ツ月ノ意」(大言海)―つまり、歳末にあたってし師たる僧侶や学者までも忙しく走り廻るのだ。賢の走れば愚も走る。政府与党は先の郵政民営化の造反組の復党をどうするのだと激しく内紛し、国会では教育基本法改正案が、単独採決で衆議院では可決され、〈流行り〉のいじめ問題に対しては、「見て見ぬふりも加害者」にすることになるらしい。出自からして危うい安倍首相は、防衛庁を省に昇格させて憲法九条改変に具体的に手を着けるのか。国家が表立って国民をある方向に動かそうとしている、大政翼賛政治を強く匂わせている。地方政治は地方政治で福島県が、宮崎県が、日本の伝統を誇る癒着体質の土木政治に蒙昧盲進して後を断たない。我が下北沢に自を転じると、十月十八日、補助54号線と区画街路10号線の事業認可が東京都より下り、世田谷区都市計画審議会で駅周辺地区計画案が強行採決された。これを受けた区は12月7日、「事業概要並びに用地と補償説明会」を用意して、早々と用地買収に動き出した。
この世田谷区土木区政に対しては、
歓迎すべからざるだが、
俺たちにも走らねばならない
師走がやって来たようだ。
去年だったと思うが、NYタイムズ紙で50年代の世界の名画No.1に選ばれたのが、黒決明の「生きる」('52)だった。住民をたらい廻しにして翻弄し、勤続30数年無欠勤のしがない市民課の課長が、胃癌で余命いくばくもないと知る。絶望の果て、最後に少しでも市民の役に立とうと、下水溜めを改修して公園造りに生きる希望を見出す感動の物語だ。下北沢再開発問題で常に対住民の矢面に立って、〈最後の一人までが全体である〉役人体質を全こうしている、しがない拠点整備課長を見る度に、「生きる」の映画を想い出し、妻子にそっぽを向かれた老課長が、夜の公園のブランコに乗って『ゴンドラの唄』を口ずさむ名シーンを思い出すのだ。
 さて、世田谷区は下北沢駅周辺地区の街づくりの取り組みに関して、昭和59年から〈下北沢街づくり懇談会〉なるものが、発足して、地元の意見を充分聞いてきたと言い張るが、懇談会の内実は、町会長に商店会代表と一部の地権者だけを選らんだ、傍聴も認めない密室会合で行政側の傀儡組織に等しい。昭和59年は1984年で、時の米大統領レーガンとロン・ヤスの第一回日米雇用の契りを結んだポチ中曽根総理は、イラン・イラク戦争下のペルシャ湾に掃海艇を派遣しようとしたが、命を張った後藤田官房長官に止められ渋々見送った。その中曽根総理が無闇に建築基準法を改変し、容積率と高さを緩和した年と一致している。その年以降、下北の街路は地下一階三階建てのテナントビル群に変貌して、かっての個別商店主は世代交替か不動産屋と化していったのであった。これを期に下北沢の地価は、渋谷や港区界隅と肩を並べる程高騰していった。俺に言わせると第一期下北バブルなのだ。補助54号線、区画街路10号線の道路計画の説明会も、「平成十二年から年一回やってきた」と世田谷区は釈明するが、多くの道路予定地に住む人や商業を営む人たちのみか、地主でさえ一切知らされてなかったというのが実情だ。
 折しも、成田空港建設の閣議決定された’66年から、40年の月日が経ったニュース報道があった。その時もやはり突然の決定に驚き農民らが決起した。六八年の機動隊導入による反対派198名の逮捕に始まり、78年の開港直前の60メートル鉄塔闘争までの数名の死者まで出した12年間、団結小屋、地下要塞、一坪運動等さまざまな戦術をくぐり抜けてきた経緯を、下北沢の今後に照らして思う時、目・耳・鼻・舌・皮膚・心の六つの感覚が煩悩の源というのなら、
これを祓う除夜(古い年を除くの意)の日を、
或は鐘を如何に迎えようか、
今から課題だな。




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