第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。




"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 前号で2003年に出来たばかりの六本木ヒルズを巡るFM東京番組のインタビューの事を書いたが、何と二週間後の5月14日に再びFM東京のインタビューを申し込まれた。「スタイル・カフェ/クワイエット・メッセージ」という別の番組だったが、音楽とインタビューで構成する前回と同様の内容だったので断ろうと思ったが、放送が18日で23日に「マサラwith宇崎竜童」のレコ発コンサートを控えていたので、その宣伝とマサラの曲を流すという条件を飲んでもらって受けることにした。また六本木ヒルズかという悪意が言葉に出まくったが、そこは俳優の”ライフ・イズ・アメニティ“の如くナレーションで被せる構成作家の腕が、さすがお見事辛口酒を水割りにしていた。
 6月に入って篠田正浩の映画「スパイ・ゾルゲ」のプレビュー試写があった。映画館は六本木ヒルズの巨大シネマ・コンプレックスのヴァージンだった。広いロビーにズラーッとポップコーンにコーラの販売用カウンターがあって、独特の甘い油の匂いが充満していて、それは映画を観る入口の匂いではなかった。戦前のゾルゲにとってスパイ天国日本の国を作っている建材は何なのかを研究したらしく、映画では語られなかったが、「日本は蟹だった。入口は固いが一端中に入ると美味しい肉や蟹味噌がグチャグチャとあって、非常に活動し易かった」と当時の法廷で証言したことは、今なお続く日本の社会や政治の有り方を表わしている。そして初の六本木ヒルズ体験は、例えば翌日世田谷パブリックシアターで観た、イギリスのサイモン・マクバーニー演出の「エレファント・バニッシュ」の世界のようでもあった。つまり、村上春樹原作の不条理的カフカ世界は、
ハイテク満載の時代にわれわれは何ひとつ選択していなくて、
個ではなくて固まりとなった統一された
クローン象として飼育係と共に消えてゆくのだ。
 マクバーニー演出は鍛錬された俳優を極限までメカニカルに動かし、メカニカルなミニマル音楽で凍てつく舞台を更に効果的にした。
 「ミニマル・ミュージック」とは、ジョン・ケージの流れを受けた音譜や作曲上での方法を最大に少なくする音楽を言うが、西欧音楽世界では禁じ手になっていた反復音楽を特長とする。その反復音楽を現代音楽の枠から取り出して、ポップス音楽にまで広めたパイオニアのフィリップ・グラスが、その年の秋来日することになった。招聘元のカンバセーションに頼まれて、美術手帖にその紹介記事を書くことになったのだが、その来日編成と目的は次のようなことだった。
 82年、P(フィリップ)・グラスがゴッドフリー・レジオ監督と組んで、荒涼とした死の岩肌や高速道路の車の渋滞、機械となって歩く人のラッシュとカットバックする巨大ビルの破壊シーンや原爆のきのこ雲を、音と映像だけで空撮したドキュメンタリィ映画「コヤニスカッティ」を製作した。フランシス・F・コッポラが感動してすぐ制作に名乗りを上げた。次いで87年に製作した「ポワカッティ」は、コッポラと共にジョージ・ルーカスも加わった。こちらはカメラは国外に出て、アジアやアフリカの貧しい地で懸命に生きる血と汗と、押し寄せる強国の物質文明の侵略を追っていて、P.グラスはフルートやら民族楽器を使用して、やさしい生の鼓動のビートの反復で音楽を構成していた。この二本を持って、16名の管弦楽による上映コンサートのための来日だった。そしてそれは「聴く」とか「観る」とか感覚行為ではなくて、P.グラスが自ら語るように、「体験する」音と映像の緊密なパフォーミング・アーツだった。
 ところで「ポアカッティ」は当時初上映だったが、「コヤニスカッティ」は84年に日本でも封切られていた。映画館は六本木WAVEにあったシネヴィヴァンだった。ショックを受けた俺は人に吹聴したいと思ったが、アッという間に終わってしまい、単館上映で二週間か一週間だったかも知れない。その方がショックだった。WAVEには当時入手しにくいニューウェイブのレコードが揃っていて、数枚買っては一階の裏の入口脇の喫茶店で広げた。
ガラス窓越しからは裏路地が眺めた。
 その「雨の木(レインツゥリー)」という店は、大江健三郎の小説から武満徹がもらって作曲した同名タイトルだった。「コヤニスカッティ」を観た武満徹は言った。「大ホール、大スクリーン、大音響イベントでやる方が良い」と。20年後、予言者の言をP.グラスは実行し、拙者も末席に立ち会えたのだった。




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