第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 つい一ヶ月前のこと、監査役兼顧問税理士から電話があって、会社の今年度の決算をまとめるのに当って、酒類等の在庫とは別に、帳簿上CD『金大煥メモリアル・アルバム/如露亦如雷』の在庫が442枚となっているが、次年度への繰り越しは何枚になったかと聞いてきた。調べるとこの一年で17枚売れたようだから、在庫枚数は425枚だと返事をした。実に情けない話にフッと我に帰った。
 当エッセイ155号で、打楽器奏者だった故金大煥の七十七忌の法要に参席するためにソウルに行った次第を書いたが、その時哲人の偉業を後世に伝える役割として結成した、日韓四名ずつ計八名の〈金大煥黒雨会〉で決定した意を受けて、日本黒雨会のメンバーは同じ年の2004年11月を予定して「黒雨金大煥記念・日韓文化芸術フェスティバル」の準備に相当泡を喰っていた。黒雨会といっても、金大煥と生前特に親しくしていた面々だったが制作のプロではないので、俺は「ピットイン」の元店長でカイブツこと龍野治徳に実行委員長になってもらい、長年の協力者岩渕聡を加えた六名による実行委員会を作って、五月に企画書を立ち上げた。
 が、特に会場選びに難航した。それなりのステージの広さと、三百〜五百の客席は欲しかった。金が元より無い。フリージャズ、フリーミュージックに資金を提供してくれるスポンサーはまずいない。ならば会場と共催してその使用料の面倒をみてもらおうという作戦を立てた。二転三転、やっと長年の友人のFM東京の田中美登里のお陰でFM東京ホールに決まり、日取りも11月22、23日の三回ステージに決まった。出演交渉の結果、集結してくれたミュージシャン、絵描き、舞踊家は計四三名。どのようなステージにするかは非常に悩んだ点だったが、韓国から招聘した五人の達人音楽家や黒雨会理事の大倉正之助などは複数出演してもらい、一回ステージを四セットとして計十二セットに組み分けた。ミュージシャン招致はそれ程苦労しなかった。音響オペレーターは、この後亡くなった川崎克己が病体を押してやってきてくれた。カイブツに言われれば従うしかないか、「ピットイン」の店長の鈴木寛路らも舞台部で駆けつけてくれた。こちらもギッタンバッタンと頑張ったが、20年間、日韓交流を切り開いた金大煥の遺志が、皆々の身を投げ出させてくれた賜ものに違いないと思っている。かくして、半世紀を越える音楽活動とともに、金大中を驚嘆させた〈如水〉と雅号した書家としての顔、加えて漢城大学の名誉哲学博士だった、やんちゃで我がままで頑固で赤子のようでもあった金大煥を記念した、
音と書、踊りと絵と映像による、
アジアを知覚した魂源脈動が
ステージに全開した。
 逸る気は当日までに何か形あるものをプレゼントしたかった。過去のCDや書が印されたTシャツやカップなど既成のものでなく、新たなイベント記念のものを考えて、結局CDを新作することにした。金大煥と崔善培の姜泰煥トリオで初来日して衝撃を与えたのが八五年、そのトリオが解散直前のピットインで演ったライブのカセット収録を、岩渕聡が持っていたのが決め手となった。後は俺が企画した金大煥個人の日本コンサート録音から選べば良かった。本人の音楽生活50周年の企画だったこともあり、渡辺香津美と山下洋輔が仕掛けたフリー『アリラン』は殊の外お気に入りだった。金大煥を巡る六人のデュオ・シリーズの内、原田依幸との空を切るような演奏も水際立っていた。ヘグムの姜垠一との韓国でのコンサートを収録したMDは直接本人からもらっていたものだ。哀調を帯びた曲調の中、孫娘のような年端の垠一の挑みが良い。FM東京に出演した際の、プクのみによるソロの小演奏も、CD収録の許諾を得た。行き当たりバッタリの偶然のようではあるが、年代的にも金大煥の音楽の変遷と音のヴァリエーションが聴き分けられて、見事なコンピレーション・アルバムになったようだ。黒雨会が作った記念作品ではあったが、黒雨会ではレーベルが立ち上がらず、小社ビグトリィ・レーベルの第一弾に納まったのだが。
 多少売れたのは翌年の前半まで、七ヶ月程だった。黒雨会も雨散霧消した。以後、従弟の姜泰煥を日本に呼んでは、ライブの度に従兄の金大煥の『如露亦如雷』を売りさばいて年に16・7枚だ。それじゃ只の”露の如く“ではないか!
 
作ることが出来て、売ることが出来ない。
これ今日の不易命題であろうか?
それとも馬鹿の所業か?

 




このHPに関するご意見、ご感想、ご連絡はこちらからどうぞ。