第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 年明けだというのに下北沢の商店街は、ドラッグストアと携帯屋と、それに不動産屋だらけの街並みになってしまった。小田急線の地下化工事に煽られて、地区開発を先走る二階や三階のあちこちが、最低七階建てビルに再開発しているので、十倍にも増えた不動産屋も過当競争してもしのいでいけるのだろう。そのせいで駅周辺の店舗物件の場合、坪あたり五万円になっているようで、仮に十坪とすると家賃が月五〇万円になる。
詐欺か手品の商売を考えない限り、
やっていける訳がない。
ここは何処だ!
 そんな工事だらけの薄ら寒い路地で、一月末、建築家の関根純一とバッタリ会った。彼は生まれも育ちも下北ッ子で、20世紀になってやっと世田谷区が出した、補助54号線の新道路建設と駅前バスロータリーの鉄道一体型の都市計画図案(連続立体交差事業)に対して、いち早く住民側から対案を提案した男だが、未だもって区行政に無視されている。「どうなの?」「どうにもね」「そうだよな」「もうじき大家に追い出されるよ」「そう」などと締まらない立ち話が続く。地下化になった後の「小田急跡地利用は?」「ああ、近々ヒアリングがあるみたいだ」「そんなの既成事実作りに過ぎないよ」。考えられない犯罪的誤魔化しだが、世田谷区は小田急から跡地のプランを未だに受けていないそうで、そこで区が住民の意見を募集して聞こうとした御用委員会のことだ。薄ら笑うしかない。
 その前日の1月25日、隅田川左岸の一つの劇場と、六つの稽古場を持つ演劇のメッカ、ベニサン・ピット/スタジオが閉鎖した。人ごとながら非常な無常観とやるせなさが襲ったばかりだった。前号で、2004年の暮れには「レディー・ジェーン」の三十周年のアニバーサリィ・イベントの会場を探し続けた結果、ベニサン・ピットに決めて泡をふかしていたことを書いたばかりだった。下北沢なのに森下という遠方にあるベニサン・ピットに決めたのには訳があった。一介の店の記念祭などに貸した前例がないというオーナーの紅三の返答に、TPTの代表門井均の後押しを得て使用許可をもらった経緯もある訳だから、多少他人ごとではない気持ちがある。TPTというのはシアター・プロジェクト東京の頭文字で、ベニサンに事務所を構え、ワークショップを繰り返しながら、基本的にベニサン・ピットを劇場にして上演し続けている演劇集団のことだ。
 六つの稽古場が一年中フル稼動している訳だから、多くの劇団や上演集団が場を失うリスクは大きいに決っているが、TPTの場合は事務所も上演場所も一挙に失ってしまったのだから、正しく生命線を断たれたことになる。よしんば代替地を見つけ出せたとしても、長い歴史の積み重ねの中から生まれ育った文化的財産を失ったのだから思いははるかだ。法律に乗っとったという脳細胞の持ち合わせしかないそこらのデベロッパーや、上役や金の動きで人や町の動きを決めてしまう合理主義者は、場所を問わずゴマンといるものなのだ。
 83年ベニサン・スタジオに稽古場ができた二年後の85年、紅三の染色工場のボイラー室跡にベニサン・ピットはオープンした。創業百年の伝統ある造りは、そのまま劇的空間に満ちていた。歌舞伎の坂東玉三郎の地唄舞のこけら落とし公演で生まれた劇場に、俺が初めて行ったのは一年後の86年、松田優作プロデュース公演「マオモ」だったと思う。朴李蘭(ボブ・ディラン)と名乗って原作や演出もやっていた彼は、翌八七年、アンドレ・ブルトンの「ナジャ」を叩き台にした「MAZDA」、八八年「モーゼル」と続けた。90年には彼の遺志を継いだ若者たちによって「ロレンス」(原作松田優作)が上演された。俺は外部から小さな協力をしただけだったが、ベニサン・ピットの特権空間に妖しい炎が熱く燃え上がっていたのは記憶に容易い。そしてアンジェイ・ワイダが玉三郎でドストエフスキーの「白痴(ナスターシャ)」を演出し、アラン・アッカーマンはベタ付きで何作も演出した。少壮のデビット・ルヴォーはここから世界に羽ばたき、新米の堤真一が一人前に巣立って行ったのもベニサン・ピットからだった。
 住む家を無くした牛や職を失くした牛や首になった牛の話題で迎えた新年だというのに、紅をなめる牛たちぐらいなめさせといてやりゃいいものを。
その思い大川の水に
流せるものとは思わない。

 




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