第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 先月の四月四日に、神奈川県相模原にある臨済宗常福寺の恒例行事「死を想え=メメント・モリ」という催しが行われた。午後一時から三人の講演者による話が始まって、最後のパネルディスカッションが終わるのが五時半頃。一時間の休憩を挟んで音楽ライブが始まるという長い一日の催しは、終演後、客と一体になって酒を飲み弁当を食してやっと終えた。企画制作と人選の手伝いを毎年六・七年続けているが、因みに今年の出演者は柳田邦男と窪島誠一郎、筒井ともみの三名の講演者、ミュージシャンは坂田明と世界的に活動した後今は殆ど日本に暮らすジム・オルークだった。又もや今年も腹蔵のない剥き出しの中味が真摯に語られて、音楽は鳥やたまに通る電車の音と共演しつつコスモス・サウンドで締め括った。
 2005年のやはり四月の第一土曜日に行った「死を想え=メメント・モリ」の講演者の一人は映画監督の原一男だった。下北沢の映画館「シネマアートン下北沢」の顧問を引き受けて二年目の春だった。小さな映画館の宿命で旧作特集や若手の実験映画特集など、企画ものの連続で凌いでいくしかなかったが、映画館ならば新作をロードショウしたいのは当たり前だった。その時期も、神代辰巳特集や80年代傑作選、70年代青春の光と影、豊田四郎特集、舛田利雄特集などの企画上映がラインナップされていた。70年代初頭からドキュメンタリー映画を撮り続けていた原一男が、十年振りに撮った映画は劇映画だった。その新作『またの日の知華』は一月十五日から新宿のシネマスクエアとうきゅうでロードショウ封切りが決まっていた。そこで二月二十六日からムーブオーバー封切り上映を決めた。席数の少ない映画館は新作上映は制作会社や配給会社に嫌われるが原一男は嫌わなかった。第一回封切りに対して後発の二次ではあるが封切り上映なのだ。四人の女優に知華という一役を演じさせて、監督自身の70年代を抽出していこうとしたのだが、作品は空回りしていて褒められたものではなかったし、客も入らなかったのはとても残念な事ではあった。ところが彼のその70年代原点となる作品『さよならCP』(72)と『極私的エロス恋歌1974』(74)を同時上映するにあたって、二月六日、たまたまその二本を上映していたお茶の水下70年代風上映館スペースNeoで観たときは衝撃だった。
 ビデオでかつて観た事はあったが別作品のようだった。元々ブラウン管からは遠く離れている作品だが、映画上演館の設えも粗末でそれ故より直接視聴覚に入ってきたのと、山形ドキュメンタリー映画祭と提携している上映スタッフと空間が同時代感をより強度に出していたのかも知れない。脳性小児麻痺(CP)者の団体「青い芝」と五体を合わせて生活し、“保護するな、人前にさらせ”という身体の階級性をカメラで撮らえた『さよならCP』は、健常者としての俺の忍耐を問うた。下北沢の街を怒鳴っては走り廻っていたクリーニング屋の◯◯ちゃん、駅前で掃いてばかりいたお掃除おじさん、暗くなれば裏路地に立ってノーパンのスカートをめくっていた老女など身近だった精神障害者の野放しの光景を思い出した。又、梅ヶ丘にあった都立光明養護学校で介助員をやっていた写真学校出の原一男が、そこで身障者の写真撮影をやっていたのは知っているが、70年代末から80年代にかけて下北沢の「レディ・ジェーン」に、そこの生徒が車椅子で遠征し始めたのだった。最初介助員に連れられて来たジャズ好きのCP者が、一階でしかも入れてくれることに味をしめて四、五人を引き連れて来るようになった。コルトレーンをリクエストしてストローで水割りを飲んで帰る事が、何年も繰り返しあったが、いつの頃からかピタッと来なくなった。
一般の健常客にこれで帰られなくて済むと、
俺は脳天の何処かでチラッと思ったはずだ。
 上映を終えた二週間後の四月二日、常福寺の本堂で原一男は喋っていた。かつて中一の息子を殴って投身自殺された体験を持つ彼は熊井啓監督の『深い川』(95)でインドのベナレスでロケをしていて、牛と目が合って何故か息子を思い出したと言う。NHKの番組『世界わが心の旅』に出演の話があった時、牛と目が合った場所にもう一度行きたくて、轟々と流れるガンジス川の辺を般若心経を唱えながら歩くと息子の気配がしたと。「そして息子が死ぬ瞬間に何を考えて、私に何を思ったのか解き明かせない謎に近づくことを、映画を作る中でやりたい」と。
――企画者の俺の眉間を襲う
ブーメランのように。

 




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