第172話 『雨が空から降れば』しょうがない不条理 (09.9.3)
第171話 『浅い眠り』の街下北沢にて候。(09.8.12)
第170話 『ラストワルツ』を踊り続けたいのだけれど(09.7.3)
第169話 「上海帰りのリル」はピカレスクの匂い(09.6.5)
第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 北京から帰って一週間程経った2005年5月のある日、ビセンテ・アミーゴのコンサートに行った。ビセンテは今やもっとも著名なスペインのフラメンコ・ギタリストだが、彼が尊敬するという先輩ギタリストのパコ・デ・ルシアは、フラメンコ・ギター界に革命をもたらした同国の偉人で、ラリー・コリエルとジョン・マクローリンの『スーパーギター・トリオ』は、ジャズ界はおろか音楽世間の度肝を抜いた。その後ラリー・コリエルが抜けた後も、チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエバー」のギタリスト、アル・デ・メオラと「スーパーギター・トリオ」は続いた。そんな流れを継承しようとしていたビセンテ・アミーゴの有能振りは、早くから聞こえていた。会場の渋谷東急文化村のオーチャードホールはほぼ満席で、そんな客席の期待を上回る天賦の才とパッションを放っていた。
 ステージは興奮の内に終わったが、二列前の席にいたある客に元から気付いていた。その人小室等が立ったので、上気した気分を押さえて挨拶をした。以前に彼が手がけたNHKドラマの音楽のことが気になっていたのだ。簡単な挨拶の後「『レディ・ジェーン』に出てくださいよ」というと、「ああ、そうだね。挨拶じゃないですよ」と返事が返った。「挨拶じゃない」と言うことは本気だと言うことか? ビセンテ・アミーゴを共に聞いた直後だった訳で、俺はビセンテをフィルターに掛けたことになる。その後三回目の接近遭遇があって、翌06年に小室等のレディ・ジェーンのライブは実現した。
 日本語に訳されたジャズの古い佳曲、何と和田誠によって自己解釈された日本語訳詞の、例えば『虹の彼方に』や『エデンの東』、『ワット・ア・ワンダフルワールド』などが、声を張り上げること無く、さがゆきとのツイン・ヴォーカルで、又は太田惠資のヴァイオリンと生ギターの響きと共に歌われると、別の生きもののように新しい曲になって立ち現れてくるのだ。勿論そこには小室等が持っている世界観や歌唱法があってのことだ。こうしたことを試みる発想自体向こう気充分と思うのだが、当人は「年を取ったら年を取った時の歌がある。その歌を歌うのが楽しみだ」等と枯淡の境地を言うのだ。
 気になっていたと前述した、NHK金曜時代劇ドラマの『蝉しぐれ』が03年8月からあった。東北の小藩の下級武士に忍耐と不屈の波乱の半生を描いているのだが、演出が俺の好きな佐藤幹夫だった。実直な程誠に生きる男にも、蝉の命のごとく運命に抗うかなわね恋が有る。闇に光る秘剣村雨の閃光は父の仇に向けられる。そんな渇いた場面に、音楽担当の小室等はアラビック・ヴォイス&ヴァイオリンの太田惠資を前面にフィーチャーするのだった。どうだったかと言うと、凡百の音楽家ならシンセ・サウンド等を持ち込んで画面を凡百にするだろう。故武満徹なら現代音楽的に邦楽器を駆使して、更に画面を引き締めただろう。ところが黒沢映画ならぬ佐藤幹夫演出の張りつめた画面に、先のヴォイスが流れるや、一瞬の異和漢の後湿らず緩まず高尚にも行かず、孤独感と勇姿が果てし無く広がり泣けてくるのだった。情けの涙ではなく蒼穹の涙だ。こんな実験的な異化効果を計算できる小室等と言う人は、
枯淡と先端を同時進行しているから、
ずるいというか目が離せない。
 一年前に出てもらった時『雨が空から降れば』を歌った。昔彼が結成していたバンド六文銭で、舞台に出演した時に歌った劇中歌だった。それ以来自身の代表曲になっている曲だ。その舞台を見ていた俺は、四十年前の当時にワープして「『赤い鳥の居る風景』だったか『街と飛行船』だったか? ともかく『雨が空から 降れば』を劇中歌で聴いたのは六十九年だった」等と書いてしまった。今回このエッセイを書くにあたって事実を調べてみると、劇中歌作品はどちらでもなく、『スパイ物語』だった。しかも七十年とあった。三本共別役実作品で、不条理劇の大家ベケットを信奉していた別役実の世界も当然不条理だった。
 電信柱もポストも/フルサトも雨の中
 しょうがない/雨に日はしょうがない/
 ほら、こんな詩を書くなんて不条理じゃないか。六九、七〇年は皆不条理に憧れていたのだ。してみると、作品名の一つや、年号の一つを間違える等たわいもないこと。
今の世の現実の方が
余程不条理に決まっているのだ。

 




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