第174話 日本人の笑顔と風のインプロビゼーション(09.12.25)
第173話 「世界はときどき美しい」と思いたい。 (09.10.6)
第172話 『雨が空から降れば』しょうがない不条理 (09.9.3)
第171話 『浅い眠り』の街下北沢にて候。(09.8.12)
第170話 『ラストワルツ』を踊り続けたいのだけれど(09.7.3)
第169話 「上海帰りのリル」はピカレスクの匂い(09.6.5)
第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 11月の末、テレビの報道ステーションで、アラーキーこと荒木経惟が撮り続けている「日本人の顔」の特集をやっていた。大阪、福岡、鹿児島、石川、青森、佐賀と数年前から回って来て、今年は7月3日〜5日に広島だった。7年間続く「日本人の顔プロジェクト」は当の荒木経惟に言わせると、「人間が一番表現しているのが顔」でつまり「顔が一番裸だ」となる。特に今回は“もっと生きる”ことが良いねえと語っていた。勿論被爆都市広島の被爆者本人またはその子女が懸命に生きている「顔」のことを言っている。当然1945年8月6日は今だ続いているのだ。広島出身の俺は或る日のことを思い出した。
 2005年9月1日、六十歳を迎えた俺と女優と女性ライターは、還暦祝いの世話人と内容の打ち合わせをしていたが、『過夏六十の宴』とタイトルは付けてもなかなか話が前に進まない。「レディ・ジェーン」の店内では、やはり数年前から毎月続いている荒木経惟の別企画、「ポラノグラフィー」(ポラロイドで撮った写真展)の初日打ち上げでやんややんや盛り上がっていた。敗戦と原爆投下の年に生まれ、廃墟の東京、或いは全滅の広島から似非〈戦後民主主義〉の下、高度経済成長をそのまま生きて来た俺たちが祝ってもらうには、少々心が歪んでいたからだ。ついでに、60年安保に生まれた〈所得倍増〉の池田勇人内閣の、高度経済成長計画の総決算だった東京オリンピックがあったのは、64年俺たちの大学受験の年だった。等と思い出しつつ、「アラーキーが『日本人の顔』を撮り続けているけど、すいとんやら大豆粥をくった俺たちとちょっと後世代までが、昭和の顔を維持しているが、後は日本人の顔じゃあないよ」と俺が言った。実際長く続きすぎた昭和の後期生まれになると、顔は勿論、背丈や骨組みがまったく違って、例えば時代劇流行りの昨今、
男も女も着物の着こなしや
まげ姿が陳腐で存在感も
リアリティも無くてどうしようもない。
 翌9月2日、映画館「シネマアートン下北沢」で毎年組んでいた戦争特集の『敗戦六十年の愛と希望』と題して企画した篠田正浩の『あかね雲』、増村保造の『赤い天使』、ヴィットリオ・デ・シーカの『ふたりの女』が上映を明日に控えていた。能登出身の遊女が脱走兵を匿いねんごろになって騙される水上勉の原作、天津から前線に配属された従軍看護婦が、好きになった軍医とコレラ禍に襲われた村に閉じ込められる有馬頼親の原作、イタリヤ戦線の戦時下を母親と娘の二人の女が逃げ惑うアルベルト・モラビヤの原作の映画は、いずれも戦争の犠牲になる女を主人公にしていた。
 翌9月3日、夜中になって撮影のたむらまさきと監督の青山真治がやって来たが、監督が帰ってからは、何故か50年代は朝鮮戦争、60年70年代はヴェトナム戦争に戦車や武器を大量に製造輸出していて、東アジア反日武装戦線にビル爆破された三菱重工業ビル爆破事件に話が及び、山田太一のドラマ「岸辺のアルバム」を地でいく、重役を親に持った仲間だった女優の一家崩壊物語を思い出して、西宮に住む彼女に電話をした。酔っぱらってはする悪い癖だ。六時、横に長細い小さな窓からエッジを鋭くして朝日が射るように差し込んでもしらじらしかった。
 翌9月4日、サンディライブを終えた23時あたりから暴風雨になった。2時3時頃になるとますます激しさを増して、あっという間に「レディ・ジェーン」のカウンター内が20〜25センチの池になった。自宅からも地下室に水が流れ込んでいると電話、「岸辺のアルバム」下北沢版じゃあ洒落にならねえと、カウンターのラム酒をあおり下水溝を突ついてみるが、何と愚かな、下水溝から逆流しているのじゃないか! 表の道路は当然川となって下水溝からは噴水を立ち上げていた。すると、朝になると雨も風も止み店内の水も引いて行った。嘘のような自然の悪戯に呆気にとられ、風景が流されたように思い煩う瑣末のこだわりも流されて、爽快感だけが残った。
 戦前戦中戦後は四日間の出来事とは違う。
だが銀河系から観れば
芥子粒にもならない同じこと。
だからそうやって〈笑顔〉で生きているのか。

 




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