第188話 『般若心経』をゴラン高原に響かせてみたい(10.2.15)
第187話 満月を盃にくだきて、暫し、酔ひて勢えよ(10.1.10)
第186話 『ふるさと 』の青森に<木鶏>を尋ねる(10.12.3)
第185話 『言うなかれ、君よ、別れを』と言って、人は逝くのか(10.11.15)
第184話 <ヴァーチカル・ドラム>にシモキタが一ミリ動いた。(10.10.3)
第183話 あの頃『アムトラック・ブルース』が流れていたよ。(10.9.3)
第182話 「無悟」と「無垢」の違いが判らない。(10.8.3)
第181話 『夜のカフカ』のシナップス(10.7.3)
第180話 魑魅魍魎を哲学すると(10.5.15)
第179話 FLANEUR(ブラブラ歩き)は止まらない(10.4.30)
第178話 チンドン音楽の出番ですよ(10.4.12)
第177話 小判で面張る今様下北沢(10.3.5)
第176話 『茶々&ちび〜三角橋の猫の歌』流れる街をどうしようと?(10.2.10)
第175話 シューベルトの『あすなろ』を歌えと言われてみても(09.12.25)
第174話 日本人の笑顔と風のインプロビゼーション(09.12.25)
第173話 「世界はときどき美しい」と思いたい。 (09.10.6)
第172話 『雨が空から降れば』しょうがない不条理 (09.9.3)
第171話 『浅い眠り』の街下北沢にて候。(09.8.12)
第170話 『ラストワルツ』を踊り続けたいのだけれど(09.7.3)
第169話 「上海帰りのリル」はピカレスクの匂い(09.6.5)
第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 日本がサッカーのアジア・カップを制したペルシャ湾の地に目を奪われていた頃、アラビア半島を挟んだ東の紅海や地中海のアラブの国々で、大規模なデモが発生していた。もともとチュニジアの失業していた青年が無許可で屋台を出して咎められ、抗議の焼身自殺をしたのがきっかけだ。23年間強権政治を執行していたベンアリ大統領は国外に逃亡した。反政府デモはアラブ各地に飛び火し、ヨルダンではアブドラ国王が首相を更迭して軍人出身の元首相を任命したが、デモは沈静化していない。イエメンでは20年独裁政治が続くサレハ大統領の退陣を要求してデモが起きた。そして一月末にアラブの盟主エジプトが今、30年も強圧政治を欲しいままにしたムバラク大統領の解体を求めて、百万人規模のデモの嵐が続いている。その共通する特徴は、異常な長期政権と強権発動、過剰な警察権力、発言の自由封殺、異常な貧富差、等が上げられるが、いずれもアラブの国にあって、親米政策のもとでアメリカの軍事経済援助を早くから受けていたことも共通している。レバノンでは1月12日に連立内閣が崩壊して、あらてめて新首相始めシーア派のヒズボラが動きを見せているし、イスラム原理主義の動きが活発化すれば、1979年、イランに起こった革命が再び起こるやも知れない。かって世界革命を叫ぶ若者がいた。パレスチナの国境に聳えるゴラン高原の山肌が美しく想い浮かんできた。
 人は皆生まれたときから、決して長くない<生と死>の収斂線を辿っていく一生なのに、今日本では失業を免れた男が、または自殺を免れた男が、タイガーマスクの情けにも出会えないで、デフレ・スパイラルが生んだ<裏拝金主義>の味がする、一杯二百円のウイスキー・ハイボールを飲んで家路に着き、明日もまた繰り返す。デモをする体力も思力も無いのだろう。その前に、デモは違法だと教え込まされている。何と言うばかな統治力なのか!
 相模原に常福寺という臨済宗の禅寺があって、毎年四月の第一土曜日に「メメントモリ/死を想え」と題した三人の各界の賢者の講演と夜のライブの催しをやっている。何故その日かと言うと、住職としては境内に咲いた見事な桜と<生と死の対話>をし、<生と死の共演>をするためなのだが、たまに三寒四温に失敗することもある。人は自然を制御することは出来ないからだ。その企画制作に参加して十年が経つ。2006年4月8日の講演者の一人は宗教学者の山折哲雄だった。若い頃は病気がちで生きたい欲求が強くて、死ぬなどということは考えなかったと言いつつ、その山折哲雄がある体験談を語った。臨済宗は座禅の曹洞宗に比して体験を重んじる宗派だが、そんなことより聞いて面白いのは、研究室学問より個人的な体験談に決まっている。
 「三十代の時、吉祥寺で飲んでいて吐血・下血して気を失った。眼前に五色の光を見た。気が付いたらベッドの上で一週間ほど絶食療法を受けた。わずかな点滴で生をつないだが、四日目くらい迄は腹が減って仕方ない。飢餓感に襲われた。ところが五日目になり飢餓感が薄れた。そのまま身体全体が軽やかになり、近眼だったのに遠くが見えるようになり、嗅覚や聴覚が鋭敏になり、ちょっとした音が大音響に聞こえた。身体は限りなく死に近づいているのに、機能は鋭くなり生命力が活性化して来るような気がした。八日目には何も食べないことが飢餓感とは結びつかず、仙人に近づいている幻想まで浮かんだ。一週間が過ぎて粥の食事療法でゆっくりと元に戻っていった。」という話だった。そのとき浮かんだのがある僧の伝記だったそうだ。修行僧は余命を感じた時から死の準備に入り、一週間くらいから眼前に手を差し伸べた阿弥陀如来が現れて、頭をそっとなでる幻想幻聴体験をする。これを増頂という。浄土に連れて行きましょうという合図で、その増頂(まちょう)体験を得て翌日この世を去っていくという。伝統の中で練り上げられてきた死の作法として、「西洋の現代医療が推し進めてきたモルヒネの緩和医療に基づく安楽尊厳死よりも、私は仏教東洋思想の断食による合法的安楽死しかない」と結んだ。
 そして最後に学んだことがある。それはずーっと西行好きにとって謎だった。<願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃>と謳った僧が、予告をするように旧暦2月16日に死を迎えたのは、自己を全くもって統治した断食死だったということだった。



  

 




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