第193話 東京でいつか観た<ナシ族歌舞>と<東巴文字>(11.7.19)
第192話 『想いの届く日』をレコーディングしていた頃(11.6.10)
第191話 巨人の『怪談・牡丹灯籠』を下北沢で続ける(11.5.11)
第190話 『原爆許すまじ』の歌、歌えますか?(11.3.30)
第189話 聞こえるや、『十九の春』のうめき声。(11.3.30)
第188話 『般若心経』をゴラン高原に響かせてみたい(11.1.10)
第187話 満月を盃にくだきて、暫し、酔ひて勢えよ(11.1.10)
第186話 『ふるさと 』の青森に<木鶏>を尋ねる(10.12.3)
第185話 『言うなかれ、君よ、別れを』と言って、人は逝くのか(10.11.15)
第184話 <ヴァーチカル・ドラム>にシモキタが一ミリ動いた。(10.10.3)
第183話 あの頃『アムトラック・ブルース』が流れていたよ。(10.9.3)
第182話 「無悟」と「無垢」の違いが判らない。(10.8.3)
第181話 『夜のカフカ』のシナップス(10.7.3)
第180話 魑魅魍魎を哲学すると(10.5.15)
第179話 FLANEUR(ブラブラ歩き)は止まらない(10.4.30)
第178話 チンドン音楽の出番ですよ(10.4.12)
第177話 小判で面張る今様下北沢(10.3.5)
第176話 『茶々&ちび〜三角橋の猫の歌』流れる街をどうしようと?(10.2.10)
第175話 シューベルトの『あすなろ』を歌えと言われてみても(09.12.25)
第174話 日本人の笑顔と風のインプロビゼーション(09.12.25)
第173話 「世界はときどき美しい」と思いたい。 (09.10.6)
第172話 『雨が空から降れば』しょうがない不条理 (09.9.3)
第171話 『浅い眠り』の街下北沢にて候。(09.8.12)
第170話 『ラストワルツ』を踊り続けたいのだけれど(09.7.3)
第169話 「上海帰りのリル」はピカレスクの匂い(09.6.5)
第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 2006年、下北沢の「レディ・ジェーン」は31年目を迎え、04年の年明けから映画館「シネマ下北沢」を引き継いだ「シネマアートン下北沢」は三年目を稼働中だった。8月25日、『飼育』(監督・大島渚)など刻まれた戦争の傷痕を映画に訪ねて、戦後史の表と裏を引き剥がそうとした<戦争特集>を終えるや、続いてシナリオの力を考える<脚本家・中島丈博特集>に入っていた。一週間ずれたレイトショウでは、サイレント映画の現代的復活を狙って既に何回目だったが、バスター・キートンやレオ・マッケリーやジョルジュ・メリエスなど揺籃期の無声映画を今日に引きずり出して、弁士ならず即興音楽の達人たちに対峙させる21世紀型ハイブリッド・キネマを画策していた。小さな映画館は自立するために企画物の連続だった。8月26日も『昼下がりの情事 古都曼荼羅』(73)を上映後、脚本家の中島丈博、監督の小沼勝と共にトーク・ゲストで出席していた。
 その日、世界遺産になった中国雲南省の麗江から故東盛太郎は帰って来た。以下、富美子夫人からの聞き書きに寄れば、翌日は日曜日でもあったし、ひがな一日のんびりしていたが、28日の朝八時過ぎトイレで具合が悪くなり、本人が夫人に救急車を依頼した。九時過ぎ、都立広尾病院に到着した時には、くも膜下出血のストレスにより肺に水が入って呼吸困難になり、出血が脳幹に近かったため脳死状態だった。人工呼吸以外医療行為は不可能で、18日後の9月14日心肺停止した。翌日集まった友人たちは口々に、あんなに元気だった奴が、あんなに健康に気をつけていた奴がどうしてと言った。2400メートル以上の高地の麗江に数日居たからといっても、くも膜下出血に結びつくはずもなく謎を残したあっけない死だったが、シャングリラと呼ばれる程美しい屋並と、石畳の路地に湧水が溢れる霊峰に囲まれた町麗江を見て死んだのは確かだった。ナシ族という少数民族が作って来た東巴象形文字やナシ族古典音楽は、漢文化やチベット文化を融合して出来上がったもので、東巴教だって大乗仏教にラマ教、道教を融合した土着教で、
総てが独自文化で覆われている町は、
中国広しと云えど麗江を於いてないらしい。
 75年「レディ・ジェーン」を開いた早々に客で東盛太郎はやって来た。酒もジャズも映画も好きな男だったので、客と主人としてよく口を聞くようになった。訊けば生まれも育ちも地元の下北沢ということで、同業のデザイナーや建築家の卵を連れてくるようになった頃には、コースターのデザインの相談をしていた。そうして店のグッズのロゴ、メニューや開店記念日のポストカードのデザインなど総て彼に頼むようになった。79年にライブを始めたとき等は、描き下ろしの宣伝ポスターを小田急下北沢駅に定期的に張り続けたりもした。完走すれば良いんだからと、嫌がる俺を皇居マラソンにかり出したは良いが、150人中27位だった東が、10位だった俺を恨むように悔しがったのは30年近く前のことだ。85年に西麻布に「ロマーニッシェス・カフェ」を開いた時には、彼は朝日新聞社の「アエラ」のチーフ・ディレクターになっていた。
 そのころ<坊ちゃん、故郷に帰る>を企画した「週刊朝日」の編集者に乗せられて、漱石の孫の漫画家・夏目房之介と共に、山嵐が東、赤シャツが俺になって松山入りした時は、子規記念館の圧倒的な歓待振りに悪乗りした。勿論坊ちゃんなら芸者を上げての料亭でのことだ。
 東盛太郎が最後に手掛けた企画・デザインが「『北沢川文学の小路』物語」という冊子だった。下北沢の再開発計画を知った彼は地元により関心を深めた。そして喫茶「邪宗門」で偶然作家のきむらけんと出会って出来たのが、右記の冊子だ。冊子と言ってもそこには濃密な文学と文学者で埋め尽くされていて、北沢の地域が昭和の初めから圧倒的な文士や詩人の住む町だったことに驚嘆するだろう。すなわち横光利一、石川淳、斎藤茂吉、萩原朔太郎&葉子、宇野千代、田村泰次郎など枚挙に暇が無い。文学者がいたということは映画監督初め俳優もいた。今演劇の町だの、音楽の町だのと言われているが、文学遺産の磁場に乗っかって今があるということだ。再開発に目を奪われる者はそうした見えない遺産を破壊し磁場を消滅させることに気づかない。
オイ東、数日前きむらけんから
最新版の第四刷が出来た!
と電話があったぞ。

 




このHPに関するご意見、ご感想、ご連絡はこちらからどうぞ。