第197話 キジムナ又はラッコと『あのころ』(11.11.16)
第196話 あの夜が今よみがえる『YUSAKU MUSIC NOTE』(11.10.12)
第195話 人の縁も軽口も、人生は『ブーメランのように』(11.9.9)
第194話 敗北した時は『見上げてごらん夜の星を』(11.8.10)
第193話 東京でいつか観た<ナシ族歌舞>と<東巴文字>(11.7.19)
第192話 『想いの届く日』をレコーディングしていた頃(11.6.10)
第191話 巨人の『怪談・牡丹灯籠』を下北沢で続ける(11.5.11)
第190話 『原爆許すまじ』の歌、歌えますか?(11.3.30)
第189話 聞こえるや、『十九の春』のうめき声。(11.3.30)
第188話 『般若心経』をゴラン高原に響かせてみたい(11.1.10)
第187話 満月を盃にくだきて、暫し、酔ひて勢えよ(11.1.10)
第186話 『ふるさと 』の青森に<木鶏>を尋ねる(10.12.3)
第185話 『言うなかれ、君よ、別れを』と言って、人は逝くのか(10.11.15)
第184話 <ヴァーチカル・ドラム>にシモキタが一ミリ動いた。(10.10.3)
第183話 あの頃『アムトラック・ブルース』が流れていたよ。(10.9.3)
第182話 「無悟」と「無垢」の違いが判らない。(10.8.3)
第181話 『夜のカフカ』のシナップス(10.7.3)
第180話 魑魅魍魎を哲学すると(10.5.15)
第179話 FLANEUR(ブラブラ歩き)は止まらない(10.4.30)
第178話 チンドン音楽の出番ですよ(10.4.12)
第177話 小判で面張る今様下北沢(10.3.5)
第176話 『茶々&ちび〜三角橋の猫の歌』流れる街をどうしようと?(10.2.10)
第175話 シューベルトの『あすなろ』を歌えと言われてみても(09.12.25)
第174話 日本人の笑顔と風のインプロビゼーション(09.12.25)
第173話 「世界はときどき美しい」と思いたい。 (09.10.6)
第172話 『雨が空から降れば』しょうがない不条理 (09.9.3)
第171話 『浅い眠り』の街下北沢にて候。(09.8.12)
第170話 『ラストワルツ』を踊り続けたいのだけれど(09.7.3)
第169話 「上海帰りのリル」はピカレスクの匂い(09.6.5)
第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 10月27日広島行きの新幹線の車内で新聞を拡げると、「木枯らし一号吹く」とあった。東京のことだ、東北はとっくだろう。「平家物語」や「方丈記」の書き出しの言葉が車窓にチラチラ現れては消える。大災害の被災者には何も言えないが、今年新年が明けたばかりの1月12日に届いた訃報は、仙台出身のジャズドラマー古澤良治郎の死だった。その後今年も多くの友人知人の死に立ち遭されることになるのだが、その第一号の古澤の死因は虚血性心不全といった。正月にはアケタの店で四デイズ(四日連続ライブ)をやったと言うから、突然死だった。1月15日の通夜にはミュージシャンを中心にして何と多くの懐かしい顔ぶれに会えたことだが、そんなにも皆演奏現場が無かったんだとも思ってしまって、社会の在り方を邪推してみた。
 秋口から今に来てホテルというホテルの予約には、同窓会の申し込みが例年の倍から三倍に、しかも高齢者が、しかも東北から同窓生を呼びたがっているようだと、テレビのニュースは言っている。人恋しさと人のいじましさを思えばそれも良かれだが、そんなので良いのかと思うし、そんな日本人体質が原発大国の強行を認めて、自分自分を認めて来たわけだから、五木寛之の小説『親鸞』ではないが、
師の法然の時代から
末世は続いているのではないだろうか?
何が<頑張れ、ニッポン>だ。

 前号で2006年の秋に松田優作と「レディ・ジェーン」を結ぶ『YUSAKU MUSIC NOTE』をプロデュースした件を書いたが、チャールス・ミンガスやローランド・カーク、アストル・ピアソラや浅川マキの他にも、古澤良治郎がリー・オスカーと組んだ81年のアルバム『あのころ』からタイトル・チューンの『ANOKORO』を選んだ。俺が書いたライナー・ノーツに依れば「俺から言わせれば、柔軟な発想で軽快なリズム、春のウララをほのぼのと散策するような、当時の時代の空気を切り取っていた温かなサウンドだった」となる。ジャズというより軽快なサンバで、古澤は俺はジャズドラマーだと自認していたが、ジャズというよりレゲェ、リズム&ブルースが得意だった。ジャズ・オルガナイザーで詩人の奥成逹曰く、「72年の夏、森山威男が急性肝炎で入院した山下洋輔トリオ(中村誠一・ts )に渡辺文男と共に古澤良治郎はボクの前に初登場してきた。これにアルトの阿部薫も加わったたちまち火のつくようなけたたましい快速のセッションバンドと化し、まるでやけ糞のように毎夜、轟音をたてスウィングしていた。しかし古澤良治郎にとっては必ずしも幸せな時代だったとはけっしていえず、フリースタイルに不承不承つきあっているなという感じの孤軍奮闘のドラマーのようであった。しかしそれがどういうわけか一度サンバになると俄然ハッスルし出し急にドラムがハッピィに騒々しくなってくるというような妙な癖の強い荒削りの不思議な魅力のドラマーでもあった」(83年記録冊子「古澤良治郎」より)と。正に当時新宿ゴールデン街の店「比丘尼(ビクニ)」のカウンターで「何で?」と口癖を言いながら愚痴り酒を飲っている古澤を、フリージャズ系だった俺は何度かいま見たことか。
 79年になって「レディ・ジェーン」がライブを始めてからは常連出演者になっていったが、古澤グループも勿論だが記憶にあるのは三上寛とだったり、大塚まさじとだった印象の方が強く残っている。同年ボブ・マーレィが来日した時、自律神経を失って涙と汗が止めどなく溢れ出た奇妙な音楽体験をしたのだが、ロビーで古澤とバッタリと会っていた。08年10月、サックスの津上研太のリーダーバンド「地球人」をやった時が店のライブは最後だったが、終わった後酒を飲りながらそのことを古澤に言うと「俺も全く同じだった」と言って、30年前の説明不可の空気が一気に流れた。先の新装なった記録冊子「古澤良治郎」に、長年古澤を支え続けたアクト・コーポレーションの川村年勝の言葉が<弔辞より>として掲載してあり、それは「ボブ・マーレーの東京公演を観た翌日に事務所に来て『オレ、ドラム辞めてもいいからボブ・マーレーのぼうやになりたい』顔を見たら本気だった」と。続けて古澤はブレークするように「お前とはピアソラん時も会ったし」と言ったので俺が「ラスト・イグジットん時もそうだよ。いつもジャズじゃねえんだよ」と返した。
『あのころ』とは、
あいつが仙台を流れる
広瀬川で遊んだ子供のころだ。

 




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