第200話 しみったれたノスタルジーから『あゆむ街』へ=『ウイ・インシスト!』(12.2.20)
第199話 瀬戸内に揺れる<邯鄲の夢>か『音戸の舟歌』(12.1.19)
第198話 蠅男は『紙風船』と朝日の中に昇天する(11.12.16)
第197話 キジムナ又はラッコと『あのころ』(11.11.16)
第196話 あの夜が今よみがえる『YUSAKU MUSIC NOTE』(11.10.12)
第195話 人の縁も軽口も、人生は『ブーメランのように』(11.9.9)
第194話 敗北した時は『見上げてごらん夜の星を』(11.8.10)
第193話 東京でいつか観た<ナシ族歌舞>と<東巴文字>(11.7.19)
第192話 『想いの届く日』をレコーディングしていた頃(11.6.10)
第191話 巨人の『怪談・牡丹灯籠』を下北沢で続ける(11.5.11)
第190話 『原爆許すまじ』の歌、歌えますか?(11.3.30)
第189話 聞こえるや、『十九の春』のうめき声。(11.3.30)
第188話 『般若心経』をゴラン高原に響かせてみたい(11.1.10)
第187話 満月を盃にくだきて、暫し、酔ひて勢えよ(11.1.10)
第186話 『ふるさと 』の青森に<木鶏>を尋ねる(10.12.3)
第185話 『言うなかれ、君よ、別れを』と言って、人は逝くのか(10.11.15)
第184話 <ヴァーチカル・ドラム>にシモキタが一ミリ動いた。(10.10.3)
第183話 あの頃『アムトラック・ブルース』が流れていたよ。(10.9.3)
第182話 「無悟」と「無垢」の違いが判らない。(10.8.3)
第181話 『夜のカフカ』のシナップス(10.7.3)
第180話 魑魅魍魎を哲学すると(10.5.15)
第179話 FLANEUR(ブラブラ歩き)は止まらない(10.4.30)
第178話 チンドン音楽の出番ですよ(10.4.12)
第177話 小判で面張る今様下北沢(10.3.5)
第176話 『茶々&ちび〜三角橋の猫の歌』流れる街をどうしようと?(10.2.10)
第175話 シューベルトの『あすなろ』を歌えと言われてみても(09.12.25)
第174話 日本人の笑顔と風のインプロビゼーション(09.12.25)
第173話 「世界はときどき美しい」と思いたい。 (09.10.6)
第172話 『雨が空から降れば』しょうがない不条理 (09.9.3)
第171話 『浅い眠り』の街下北沢にて候。(09.8.12)
第170話 『ラストワルツ』を踊り続けたいのだけれど(09.7.3)
第169話 「上海帰りのリル」はピカレスクの匂い(09.6.5)
第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 世田谷線という京王線の下高井戸駅と東急三軒茶屋駅をつなぐ極短めの路面電車が走っている。歴史と風情のある沿線の中途に山下という駅があって、そこは小田急線の豪徳寺駅と交差している。その付近の世田谷線沿いに生まれ育った青年がいた。青年は幼少の頃から街は「僕が成長してもそこに有る物だと思っていた」。ところが、平成16年の小田急線高架工事の完成で、駅前周辺は急激にその姿を変えた。大手資本のチェーン店の参入は個人店を追いやった。青年はそれ以来、住む街として豪徳寺に繋がりを見いだせなくなった。そうだったのか、俺が住んでいた1966年頃にあった夏は氷冬は甘党の店、そして憩いの場でもあった春の桜や駅前階段の居心地は開発迄は、青年の心を和ませていたのだ。自分の豪徳寺を失った青年は、幼少の昔から親に連れられて来ていた街・下北沢の変わらなさに惹かれて、毎日ぶらぶらやって来ていた。
 2006年だった。下北沢は再開発の波に飲まれていた。俺は前年の12月に市民組織「下北沢商業者協議会」を立ち上げ、1月18日、区長への要望書を抱え区庁舎へサウンドデモを掛けたのを始め、区長面談実現、区議員へのロビーイング、そして最終局面を迎えた都市計画審議会の前日の10月17日、
〈シモキタ・インシスト〉のデモを掛けて区長に迫ったが、行政の下北沢地区計画の賛成の意見誘導の不正と、多くの学識経験者を欠席させた都計審は強行採決を諮って、補助54号線、区画街路10号線、地区計画と三個の事業認可がすべて下された。
この屈辱から生まれていったのが
現在も続行中の「シモキタヴォイス」の文化運動だが、
翌07年の8月迄待たねばならなかった。


 一連の行動に巻き込まれた青年は、カメラを抱えて運動の中に入っていった。日本映画学校でドキュメンタリー映像を学んでいた須藤瑞は、翌年の卒業制作の題材に〈シモキタ問題〉を選んだからだった。そして、「あの頃に帰れないのか」とノスタルジー小僧だった豪徳寺の青年は自身を成長させようとしていた。東郷尚武会長の裏切りにあった都計審の直後、方針も見いだせず放心状態だった俺のところに須藤青年がやって来て、カメラを向け始めたのは11月半ばだった。〈シモキタ問題〉と広島からやって来たよそ者の俺の〈わが街〉を重ね合わせて、ドキュメントしようとしたのだ。面白かった。
下北沢と言うか東京脱出の思いが
何かに付けて襲っていた俺の、
自身をやや沈着に振り返る時間でもあったと言えた。

 春は名のみの07年3月某日、下北沢ッ子になる前の60年代半ば「大木さんが新宿キッドだった頃の新宿に連れてって下さい」と須藤青年に言われて、カメラと編集の須藤チームを連れて新宿探訪となった。暮れなずむ西口から歩き始めた。「広大な淀橋浄水場跡だったここに、あの京王プラザがぽつんと一塔建ったんだよ。あとは瓦礫の山だ。それから高層ビル群の開発が始まって、東口の角筈や歌舞伎町側にも波が来て息苦しくなった」などと若者に講釈をたれて、まず酒だと通称小便横町の「きくや」に入った。数年前の不審火だった大火災をまぬがれた店で、芝居屋の溜まり場だった。おやじに「おお、何十年振りだよ」と言われ、「この前、ここで蜷川幸雄と石橋連司と蟹江敬三が仲直りの手締めをしてたろ」と俺が知ったかぶりを返す。小便横町の裏から東口に出る魔窟トンネルを潜り、いよいよかつての遊び場へ。勿論、いよいよと言っても何の感興も起きる訳も無く、かつてと言ったっていつも素通りしている道だ。映画の大看板の羅列を横目に二幸(現アルタ)裏へ、元祖ジャズ喫茶「ダグ」はとっくに無いが、ロールキャベツの「アカシヤ」が広くなってあった。次いで都電が走っていた靖国通りを横切り歌舞伎町へ入るとひどい変貌振りだ! 何も無い。「木馬」も「ポニー」も「ニューポニー」も「汀」も「タロー」も「ヴィレッジゲイト」も、永山則夫がいた「ヴィレッジヴァンガード」も中上健次がいた「ジャズヴィレッジ」も何も無い。「変わってないのはあそこだけか」と、そそくさとゴールデン街の馴染みの店に足を進めるしかなかった。まずは「唯尼庵」からだろう!
 08年3月の三日間、十四本の日本映画学校第20回卒業制作上映会が新橋のスペースFS汐留で行われた。三年映像科映像ジャーナルコースの須藤瑞作品は『あゆむ街』という題名だった。
 




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