第208話 “宮さん、宮さん”を今さら歌えといわれても(12.10.12)
第207話 『朗読とジャズのシモキタ・ジャンクション』の馴れ初め(12.9.12)
第206話 今年の『シモキタヴォイス』も始まりは2007年だった(12.8.8)
第205話 昭和の歌『月がとっても青いから』>(12.7.8)
第204話 雨中行軍する<ライカで下北沢>(12.6.8)
第203話 「ザ・クレードル」のまぼろしを巡りながら(12.5.10)
第202話 『SONG NEVER SANG』を、今一度響かせたい(12.4.12)
第201話 人間の第七官に響くやうな詩を書いてやりませう。(12.3.27)
第200話 しみったれたノスタルジーから『あゆむ街』へ=『ウイ・インシスト!』(12.2.20)
第199話 瀬戸内に揺れる<邯鄲の夢>か『音戸の舟歌』(12.1.19)
第198話 蠅男は『紙風船』と朝日の中に昇天する(11.12.16)
第197話 キジムナ又はラッコと『あのころ』(11.11.16)
第196話 あの夜が今よみがえる『YUSAKU MUSIC NOTE』(11.10.12)
第195話 人の縁も軽口も、人生は『ブーメランのように』(11.9.9)
第194話 敗北した時は『見上げてごらん夜の星を』(11.8.10)
第193話 東京でいつか観た<ナシ族歌舞>と<東巴文字>(11.7.19)
第192話 『想いの届く日』をレコーディングしていた頃(11.6.10)
第191話 巨人の『怪談・牡丹灯籠』を下北沢で続ける(11.5.11)
第190話 『原爆許すまじ』の歌、歌えますか?(11.3.30)
第189話 聞こえるや、『十九の春』のうめき声。(11.3.30)
第188話 『般若心経』をゴラン高原に響かせてみたい(11.1.10)
第187話 満月を盃にくだきて、暫し、酔ひて勢えよ(11.1.10)
第186話 『ふるさと 』の青森に<木鶏>を尋ねる(10.12.3)
第185話 『言うなかれ、君よ、別れを』と言って、人は逝くのか(10.11.15)
第184話 <ヴァーチカル・ドラム>にシモキタが一ミリ動いた。(10.10.3)
第183話 あの頃『アムトラック・ブルース』が流れていたよ。(10.9.3)
第182話 「無悟」と「無垢」の違いが判らない。(10.8.3)
第181話 『夜のカフカ』のシナップス(10.7.3)
第180話 魑魅魍魎を哲学すると(10.5.15)
第179話 FLANEUR(ブラブラ歩き)は止まらない(10.4.30)
第178話 チンドン音楽の出番ですよ(10.4.12)
第177話 小判で面張る今様下北沢(10.3.5)
第176話 『茶々&ちび〜三角橋の猫の歌』流れる街をどうしようと?(10.2.10)
第175話 シューベルトの『あすなろ』を歌えと言われてみても(09.12.25)
第174話 日本人の笑顔と風のインプロビゼーション(09.12.25)
第173話 「世界はときどき美しい」と思いたい。 (09.10.6)
第172話 『雨が空から降れば』しょうがない不条理 (09.9.3)
第171話 『浅い眠り』の街下北沢にて候。(09.8.12)
第170話 『ラストワルツ』を踊り続けたいのだけれど(09.7.3)
第169話 「上海帰りのリル」はピカレスクの匂い(09.6.5)
第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 “生臭い世間に背を向けるほどじゃなくても、斜に構えた<歌舞音曲>派だったはずじゃないか、政治や経済に唾を引っかけてきた<文芸>派の立ち位置から文句を言ってきたのじゃなかったのか? <文化運動>も所詮生活と乖離した<政治経済>に取り込まれていくばかりなのか? ロマンチストを気取る奴にテロリストやアナーキストは似合うけど、デモクラットやプチブルは似合わない”などとブツブツ自己問答を強いる虚脱の日々が、8月25日、26日のシモキタヴォイスのイベントが終わってから続いていたようなのだが、そんな思いがフッと脳天を突いたのも、ネコの額の庭に巨大にふんぞり返っている、さくらんぼの木の毛虫退治をやっていた九月なかばの或る日のことだ。
 九月に入ってから、玄関先の出入り口や二階のベランダ一面が黒い斑になっていった。何日も放っておくと更に黒くなっていった。二階の屋根を越えるほどに青々と枝葉を伸ばしたさくらんぼにたかった毛虫がまき散らした大量の糞だった。「どうにかしてよ」と妻に急かされた俺は、殺虫剤と脚立とマスクを用意して取りかかったが、剪定剪枝は毎年やっていても、幹は遥か手の届かないところ迄伸びていて、たちの悪いことに毛虫がたかり易いバラ科のさくらんぼの葉には、先端にいくほどに毛虫が撓わに集中していた。高いところからしなくては頭に毛虫が落ちてくるので、それじゃ屋上手すりから、二階窓の敷居から、サーカス少年のように精一杯片手だけを頼りに全身を中空にのり出した。
 さくらんぼは桜桃というくらいで、桃と桜のあいだの時期に咲く。今は気象異変で梅や桃と一緒だったりするが、桜には必ず先んじて咲く。めじろやつぐみが来て蜜を吸う季節は、春の嵐に吹き飛ばされた花絨毯が、雨の地面に無惨な姿に果てようとも、それも一興で良いのだが、桜の季節が終わり暫くすると、さくらんぼの実がなり始めると厄介だ。佐藤錦ならずとも「ああ、今年も紅い実がたわわに成った」と思うもたちまち、ひよどりやたまにおながなどが来てついばみ出すと、実るだけ実った枝付きの悪いさくらんぼはヨナヨナ地面に落ちて、足場の隙もないほどなので、家人や配達や御用の人に踏みつぶされて、今度は醜く破れた内蔵から白い種を晒すのだ。数週間の攻防の末、最後はカラスの出現ですっかり枝から実は落とされて、夥しい潰れた種が門扉から玄関先の三和土にへばり着いて取れないまま、蕁麻疹を呼ぶ青葉の季節だ。
こんな桜桃の木一本、伐っさりやろうか!
という感情になるが、
もはや家の四季の御本尊になっている。

 昨年から問題になっている「日本気象協会が二十四節気を廃止し新しい二十四節気を提案するという協会の最初の意図は一種の『言葉狩り』のような感じがした」と言って、俳人の筑紫磐井が新聞で警告していた。月の満ち欠けを主軸にした太陰太陽暦(旧暦)から太陽の運行を基軸にした太陽暦(西暦)にしたのは明治六年だが、協会の謀略云々は置いておいて、季節と季節の言葉及び二十四節気がずれてしまったことが原因になっている。例えば、中国や韓国の暦は旧暦であるように、七夕は七月七日だが天の川が見える旧暦の七月七日は敗戦記念日より後の八月下旬という具合だ。財政に困った明治政府が、閏月(十三ヶ月)のあった年に西暦に変更して、公務員の給与を二ヶ月分減らすのが目的だったそうだが俺は真意は知らない。俺が知っているのは明治政府は品も糞も無い貧した阿呆だったということだ。ま、今と一緒だけれど。
 永井荷風は「冷笑」(大正四年)で、明治の嘘っぽい文明を批判して、江戸を愛して下司の東京を恨んだけれど、文壇からもアカデミズムからも身を隠しつつ、覗き見で捕まったくらい世の中を視察することは欠かさなかった。アナーキストだね。するとこの間、東京新聞の「大波小波」に「山田風太郎は、明治維新を下級武士が権力の座に座るための方便に過ぎなかったと断じている」という記事があって、司馬遼太郎の<坂の上の阿呆>を嗤っちまう俺としては、溜飲が下がるのだ。和の歌舞音曲や文芸を廃して、
西洋かぶれを莫大に買い込んだ明治の無駄が、
今産廃物となって日本を覆い、阿鼻叫喚のうちに
まさに自死しようとしているじゃないか。 



 ついでだが、平成の維新ヤンキー政治屋も、“宮さん、宮さん”を歌って進軍しようとしているけれど、まさか<ナンバ>歩きじゃないだろな。
 
 




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