第209話 『平家物語』の舞台は東北だった(12.11.12)
第208話 “宮さん、宮さん”を今さら歌えといわれても(12.10.12)
第207話 『朗読とジャズのシモキタ・ジャンクション』の馴れ初め(12.9.12)
第206話 今年の『シモキタヴォイス』も始まりは2007年だった(12.8.8)
第205話 昭和の歌『月がとっても青いから』>(12.7.8)
第204話 雨中行軍する<ライカで下北沢>(12.6.8)
第203話 「ザ・クレードル」のまぼろしを巡りながら(12.5.10)
第202話 『SONG NEVER SANG』を、今一度響かせたい(12.4.12)
第201話 人間の第七官に響くやうな詩を書いてやりませう。(12.3.27)
第200話 しみったれたノスタルジーから『あゆむ街』へ=『ウイ・インシスト!』(12.2.20)
第199話 瀬戸内に揺れる<邯鄲の夢>か『音戸の舟歌』(12.1.19)
第198話 蠅男は『紙風船』と朝日の中に昇天する(11.12.16)
第197話 キジムナ又はラッコと『あのころ』(11.11.16)
第196話 あの夜が今よみがえる『YUSAKU MUSIC NOTE』(11.10.12)
第195話 人の縁も軽口も、人生は『ブーメランのように』(11.9.9)
第194話 敗北した時は『見上げてごらん夜の星を』(11.8.10)
第193話 東京でいつか観た<ナシ族歌舞>と<東巴文字>(11.7.19)
第192話 『想いの届く日』をレコーディングしていた頃(11.6.10)
第191話 巨人の『怪談・牡丹灯籠』を下北沢で続ける(11.5.11)
第190話 『原爆許すまじ』の歌、歌えますか?(11.3.30)
第189話 聞こえるや、『十九の春』のうめき声。(11.3.30)
第188話 『般若心経』をゴラン高原に響かせてみたい(11.1.10)
第187話 満月を盃にくだきて、暫し、酔ひて勢えよ(11.1.10)
第186話 『ふるさと 』の青森に<木鶏>を尋ねる(10.12.3)
第185話 『言うなかれ、君よ、別れを』と言って、人は逝くのか(10.11.15)
第184話 <ヴァーチカル・ドラム>にシモキタが一ミリ動いた。(10.10.3)
第183話 あの頃『アムトラック・ブルース』が流れていたよ。(10.9.3)
第182話 「無悟」と「無垢」の違いが判らない。(10.8.3)
第181話 『夜のカフカ』のシナップス(10.7.3)
第180話 魑魅魍魎を哲学すると(10.5.15)
第179話 FLANEUR(ブラブラ歩き)は止まらない(10.4.30)
第178話 チンドン音楽の出番ですよ(10.4.12)
第177話 小判で面張る今様下北沢(10.3.5)
第176話 『茶々&ちび〜三角橋の猫の歌』流れる街をどうしようと?(10.2.10)
第175話 シューベルトの『あすなろ』を歌えと言われてみても(09.12.25)
第174話 日本人の笑顔と風のインプロビゼーション(09.12.25)
第173話 「世界はときどき美しい」と思いたい。 (09.10.6)
第172話 『雨が空から降れば』しょうがない不条理 (09.9.3)
第171話 『浅い眠り』の街下北沢にて候。(09.8.12)
第170話 『ラストワルツ』を踊り続けたいのだけれど(09.7.3)
第169話 「上海帰りのリル」はピカレスクの匂い(09.6.5)
第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
 前号で「明治政府は阿呆だった」と書いたが、維新に最大に貢献した西郷隆盛を失ったからだと、学生時代の1964・5年、井上清の「明治維新」と反論本(失念した)を読み比べたりしてそう思っている。士族が作った維新政府は下級士族の扱いをぞんざいにして、<国民徴兵制>で彼らの不満は頂点に達していた。そんな時期に朝鮮特使として死を覚悟していた西郷隆盛は、<征韓論>で大久保利通、木戸孝允、岩倉具視に負けて故郷の鹿児島に帰った。私学校を作り学問と軍事の教育を行なったが、参議は辞めても陸軍大将のままだった西郷隆盛が、別政府のような振る舞いに恐怖に感じた幕閣は、間者を大量に忍ばせた。西郷隆盛は再度国と戦い<西南戦争>で戦死を遂げた。
彼はある意味<永久革命者>なのだ。
チェ・ゲバラにも似ているではないか。

 早々に金品と地位の官僚政治に走った幕閣たちが、昨日の己を忘れて、下からの<農業政治>をやらず、上から見下して冷害旱魃に追いやっていた時、もともと出世や地位に興味が無かった西郷隆盛は、農業こそ国の命だと<農業立国論>を唱えて、鹿児島で百姓になって開墾を先導した。従弟にあたる後の陸軍総司令官・大山巌に宛てた手紙が奥深い。「いまでは一日に二畝ぐらいなら鋤を使えるようになりました。もういまでは、きらずの汁で芋飯を食うのにも馴れましたから、困ることはありません。人間はどのようにでも落ち着けるものだと思いました。お笑い下さい。幸便に任せ、用事のみ。頓首」(「西郷南州書簡集」)。明治八年、「人間はどのようにでも落ち着けるものだと思いました」の件に、明治政府を打ち建てた中心人物とも、二年後、その政府に最大の士族の反乱<西南戦争>を仕掛けた人とも思えない。剛胆と平淡の幅が推量できない謎だ。丁度ETVの番組でやっていた「方丈記」を思い出した。
 有名な歌人でもあったが、人生につまずき賀茂神社のエリート神官から仏僧になった鴨長明が、五十歳で京の南の日野山に方丈の庵を構え、平安末期の五大災厄に触れて無常観を書き綴った日記が「方丈記」だ。鴨長明は言う。「閑居は読経に気が入らなければ、辞めて寝転び誰からも何も言われぬ」と。無常の気持ちには環境へ感じる無常観があって、五大災厄は当然外からやってくる無常観だ。今の日本を見渡しても明治や平安末期に匹敵するほど、いやそれより勝る物と人心の腐蝕が広がっていて、目に見えない崩壊は数字では測れないだろう。計り知れない無常観が襲う。だが、長明の本題は「ソレ三界は心ヒトツナリ」だと解説者の玄侑宗久が言う。つまり「世界の一切は内なる心の持ち方次第で変わる」と。西郷と言ってることが同じじゃないか! そして今、「物ウツトテモ、心ウゴカスコトナシ」=憂鬱でやる気がなくても、思い悩むことはないという気持ち大事だと。それが<無常という力>なのだと諭す。<無常>の敵は<執着心>と言われても、<執着心>を捨ててまで手に入るかどうか分らない<無常という力>を求めるのか、エイ、煩悩が巡る。
 <執着>といえば。ここ十年催しを手伝っている相模原にある臨済宗・常福寺の和尚も、度々言っている言葉だ。当寺で10月13日、「奢る人・怒る犬」とタイトルしたライブをやった。黒田征太郎のライブドローイング、坂田明のサックス、桜井真樹子の声明と白拍子踊りのトライアングル・ライブだった。中途、坂田明が『平家物語』を嘆恨朗唱した時、まさに時節を射た『平家物語』と言わねばならないが、聴いていると、どうしても東北経由の思いになってしまい、気持ちの持ち方に「ウシトテモ心ウゴカスコトナシ」とはいかず、<東北>を利用している自分を感じた。端にいるくせに<東北>に執着しているのだ。終演後、舞台の後ろが素通しでライトアップされた竹林に飾られた黒田征太郎の50枚ほどの絵を眺めながら「五年前の夜」と俺は和尚に言った。
 2007年10月27日、その夜は嵐だった。大セットを組んだYAS-KAZが演奏し始めると、ジッと潜んでいた濡れ鼠の麿赤児が竹林から出てきたのだ。一閃稲妻が走った。観る者すべての心が動かされた。雨男YAS-KAZが呼んで、麿赤兒の天賦の才が瞬間を捉えたということだが、自然に寄生した結果だった。今日10月31日、ジュネーブの国連欧州本部で、双葉町の井戸川克隆町長が「原発事故はまだ終わってない」と訴えている新聞記事が目に入った。
又、寄れない自然の現実に
動かされている。 



 
 
 




このHPに関するご意見、ご感想、ご連絡はこちらからどうぞ。