第230話 ふたつの物語りの、幕がひらかれるのだ (15.01.09)
第229話 “ラ・ネグラ/褐色の女”が讃えた『人生よありがとう』 (15.01.09)
第228話 妖術使いの蛙の歌が聞こえてくるよ (15.01.09)
第227話 中国女の尻追っかけて15年 (15.01.09)
第226話 〈ポポロッカを起こせ!〉、と言うと不謹慎になるのかな (15.01.09)
第225話 音楽家として<黒雨>、書家として<如水>と雅号した人よ。(14.03.01)
第224話 『麦打ち唄』の音曲をどう祝祭すれば良いのだろうか!(14.02.03)
第223話 蕎麦を巡る旅と『ハッシャ・バイ』(14.01.06)
第222話 『浜辺のソプラノ』も昭和歌謡山脈の夢の途中(13.12.01)
第221話 『花巻農学校精神歌』と『ヨイトマケの歌』を繋ぐ知恵の輪(13.11.01)
第220話 <時代>に生きてしまったら、もう変われない。(13.10.01)
第219話 原爆忌・昭和二十年生まれなり(13.09.01)
第218話 『人間の秘密』はつらい夜を過ごすために(13.08.08)
第217話 逢魔が時は夕方とは限らない(13.07.08)
第216話 花や鳥や風や月は謳い、では人は何を詠うのか(13.06.04)
第215話 『最後のニュース』のあなたとあなたとあなた(13.05.04)
第214話 西行に倣い、桜に葬られて(13.04.04)
第213話 『BEETLE』は止まり場を求めて(13.03.04)
第212話 2008年は「春のめざめ」だった(13.02.18)
第211話 『音戸の舟歌』で巳年を迎える(13.01.08)
第210話 歳末に<引かれもん小唄>を歌いたくはないが。(12.12.12)
第209話 『平家物語』の舞台は東北だった(12.11.12)
第208話 “宮さん、宮さん”を今さら歌えといわれても(12.10.12)
第207話 『朗読とジャズのシモキタ・ジャンクション』の馴れ初め(12.9.12)
第206話 今年の『シモキタヴォイス』も始まりは2007年だった(12.8.8)
第205話 昭和の歌『月がとっても青いから』>(12.7.8)
第204話 雨中行軍する<ライカで下北沢>(12.6.8)
第203話 「ザ・クレードル」のまぼろしを巡りながら(12.5.10)
第202話 『SONG NEVER SANG』を、今一度響かせたい(12.4.12)
第201話 人間の第七官に響くやうな詩を書いてやりませう。(12.3.27)
第200話 しみったれたノスタルジーから『あゆむ街』へ=『ウイ・インシスト!』(12.2.20)
第199話 瀬戸内に揺れる<邯鄲の夢>か『音戸の舟歌』(12.1.19)
第198話 蠅男は『紙風船』と朝日の中に昇天する(11.12.16)
第197話 キジムナ又はラッコと『あのころ』(11.11.16)
第196話 あの夜が今よみがえる『YUSAKU MUSIC NOTE』(11.10.12)
第195話 人の縁も軽口も、人生は『ブーメランのように』(11.9.9)
第194話 敗北した時は『見上げてごらん夜の星を』(11.8.10)
第193話 東京でいつか観た<ナシ族歌舞>と<東巴文字>(11.7.19)
第192話 『想いの届く日』をレコーディングしていた頃(11.6.10)
第191話 巨人の『怪談・牡丹灯籠』を下北沢で続ける(11.5.11)
第190話 『原爆許すまじ』の歌、歌えますか?(11.3.30)
第189話 聞こえるや、『十九の春』のうめき声。(11.3.30)
第188話 『般若心経』をゴラン高原に響かせてみたい(11.1.10)
第187話 満月を盃にくだきて、暫し、酔ひて勢えよ(11.1.10)
第186話 『ふるさと 』の青森に<木鶏>を尋ねる(10.12.3)
第185話 『言うなかれ、君よ、別れを』と言って、人は逝くのか(10.11.15)
第184話 <ヴァーチカル・ドラム>にシモキタが一ミリ動いた。(10.10.3)
第183話 あの頃『アムトラック・ブルース』が流れていたよ。(10.9.3)
第182話 「無悟」と「無垢」の違いが判らない。(10.8.3)
第181話 『夜のカフカ』のシナップス(10.7.3)
第180話 魑魅魍魎を哲学すると(10.5.15)
第179話 FLANEUR(ブラブラ歩き)は止まらない(10.4.30)
第178話 チンドン音楽の出番ですよ(10.4.12)
第177話 小判で面張る今様下北沢(10.3.5)
第176話 『茶々&ちび〜三角橋の猫の歌』流れる街をどうしようと?(10.2.10)
第175話 シューベルトの『あすなろ』を歌えと言われてみても(09.12.25)
第174話 日本人の笑顔と風のインプロビゼーション(09.12.25)
第173話 「世界はときどき美しい」と思いたい。 (09.10.6)
第172話 『雨が空から降れば』しょうがない不条理 (09.9.3)
第171話 『浅い眠り』の街下北沢にて候。(09.8.12)
第170話 『ラストワルツ』を踊り続けたいのだけれど(09.7.3)
第169話 「上海帰りのリル」はピカレスクの匂い(09.6.5)
第168話 『明日という字は明るい日と書く』のですか?(09.5.7)
第167話 「ヤマテピアノ」は旅の空を飛ぶ(09.4.3)
第166話 ジャンゴを聞きながら大分を巡る(09.3.7)
第165話 大川に紅涙流れて(09.1.30)
第164話 あなごは旨いが、逃した「明日の神話」はでかい(09.1.13)
第163話 『恨五百年』の音を幻聴する(08.12.4)
第162話 『椿姫・前奏曲』は春の訪れ悲恋の訪れ (08.11.10)
第161話 水の惑星で聞きたかった『セイレーン』の歌 (08.10.8)
第160話 『シネマアートン下北沢』の鳴動 (08.9.9)
第159話 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい (08.8.1)
第158話 『いつかギラギラする日』にラスト・ダンスを (08.7.8)
第157話 今様『梁塵秘抄』に戯れて (08.5.2)
第156話 シモキタに江戸前の風が未だ吹いている。 (08.4.4)
第155話 『如露亦如雷』の響、海峡を渡る。 (08.3.1)
第154話 街のすきま風をジャズが塞いだ時代があった (08.2.8)
第153話 英哲の『若沖』で年は越してはみたが (07.12.28)
第152話 『さくらんぼの実る頃』は愛の悲しみ (07.12.11)
第151話 下北沢に『不死身の花』が咲くころ (07.11.05)
第150話 映画よ あれがシモキタの灯だ (07.10.15)
第149話 「ロンリー・ウーマン」はトリガーに指を掛けた (07.09.04)
第148話 P.グラスの鉱物的ミニマル交感 (07.08.03)
第147話 今から『風をあつめて』おくために (07.07.03)
第146話 『MASAЯA SCOPE』は土空火水を駆ける (07.06.02)
第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。



 

"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 
  月末の昨夕、たまたま「アラスカ物語り・星野道夫」というNHKBSの再放送番組が目について二時間観入ってしまった。観終わって、199年に出版された彼の写真集を取り出すと、聞き覚えのあったTVのナレーションの言葉が写真の横に書かれていた。秋の暮れの繁殖の季節、八百キロを越すオス二頭のムースが死闘の末、互いの角が絡んで力尽きた時、狼とグリズリーの餌食になる最北の壮絶な自然界に畏怖し、又、三頭のコククジラが氷海に閉じ込められた時、「世界のマスコミが見守るなか、必死の救出作業が展開された。南に移動するクジラが氷に閉じ込められることは、昔から北極海のどこかで常におこってきたことなのだ。付近にはたくさんのホッキョクグマが徘徊している。この時の一頭のクジラが、苛酷な自然の中で生きるホッキョクグマのどれだけ多くの命を支えることになっただろう。大きな自然の約束がどこかで見えなくなっていた」という観察眼と死生観を持つ星野道夫に当時から共感していた。若くしてアラスカの原野に移り住み、木村伊兵衛賞を獲ったばかりの彼は、皆して「もう早く結婚しろよ」と言っても、はにかんで何も応えない内気な純情青年だった。その彼が三年後に結婚して長男が生まれた翌年の1996年8月9日、カムチャッカでヒグマに襲われて死んだ。極寒の地で死の近くを生きた男の、自然界の苛酷な死の物語りだった。日本のTV番組の取材班が現地に入っていて、
非自然な波動が
極北の掟を狂わせたという想いが走るが、
早計にそれを言うのは彼の本意ではないだろう。

 7月26日、翻訳の仕事もし、スペイン語歌曲も多く残しているスペイン・フェチの歌手&ピアニストの鈴木亜紀と、スペインが生んだグラナダの詩人ロルカ・アディクト(中毒)の小沢あきのライブの影響があって、詩人であり劇作家だったロルカのことが、ことの他、戯曲『血の婚礼』の物語りが取り憑いていた。そこに星野道夫の死が突然割り込んできたのだ。曰く“どこの国でも 死はひとつの終わり 死が来て幕は閉ざされる だがスペインではちがう スペインでは幕がひらかれるのだ”
 ここでロルカのいう「スペインでは幕がひらかれるのだ」のスペインに引っかかってしまうのだ。遠い昔イベリア人とケルト人が混交してスペイン人になってると思ったら大間違い。人口比で言えば、カタルーニャ州、アンダルシア州、マドリッド州の順で、最大州のカタルーニャとアンダルシアは民族も違えば言語も違うらしく、昔から経済的に豊かなカタルーニャはマドリッド政府に吸い上げられて、貧乏なアンダルシアに廻していると不満たらたらで、独立運動は激しい。フラメンコとジプシーの働かない奴らのアンダルシアを何故助けるのだと口汚い。スペイン人は当然、住んでいる日本人や外国人も、カタルーニャに住んでいればアンダルシアから、アンダルシアに住んでいればカタルーニャから差別を受けるという。ジョージ・オーエルの小説『カタロニア讃歌』の豊かな土地、バッハの『無伴奏チェロ組曲』を初めて演奏したパブロ・カザルスが求める平和と『鳥の歌』の世界。片やルイス・ブニュエルの映画『アンダルシアの犬』の残虐にして美、『糧なき土地』の度を超す貧しさ、アントニオ・ガデスの圧倒的なフラメンコの舞台とカルロス・サウラの映画の『血の婚礼』。俺の知識はこんな程度だが、ぺドロ・アドモドバルの映画『オール・アバウト・マイ・マザー』も、マドリッドとバルセロナの確執を予習しておかないと、異国人には分からない。これにバスク同盟が絡むと更に混乱を招くことになる。
 2009年10月16日、ロルカの『血の婚礼』を観た。色んな『血の婚礼』を観たが数年振りだった。会場は、大いなる功績を残した劇団TPTが、常打ち小屋だったベニサンピット閉鎖後、一時移転していた横浜のバンクアート・スタジオNYKだった。夫と子供を殺された母親が溺愛するもう一人の息子がある娘と結婚する。娘には男がいたがすでに結婚して妻子がいる。すんなりいくはずだったが、娘と男は今だ愛し合っていたから血の雨が降る。客席に囲まれた舞台にはアンダルシアの白い砂が敷き詰められていて、砂埃りに耐える覚悟が必要だったが、それはそのまま参加型劇場効果を生んでいた。正統なギターに依る音楽効果に変えて、二十五絃箏(中川果林)がほぼ即興のように自由に絡んでいたのも素朴且つ斬新だった。
 1936年、それはフランコ政権に処刑された、死の近くを生きたロルカ自身の、アンダルシアの血と家と処女性に呪われた、苛酷な死の物語りだった。スペインという国が都合や利害で滅びるよりも、自己の熱情の死を上位に置くことで、
死はひとつの終わりではなく、
“幕はひらかれれるのだと”。



 
 




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